この夏、世界最強を誇る米軍が20年間戦争を続けたアフガニスタンから全面撤収した。それと同時に、かつて米軍に駆逐されたイスラム主義勢力タリバンはアフガンのほぼ全土を制圧し、政権を奪還した。米国の「敗北」を冷ややかに見つめるのがロシアや中国だ。
そのロシアにも20年前、米国同様に「テロとの戦い」と位置づけた戦争があった。第2次チェチェン紛争である。プーチン政権のロシアは確かにチェチェン制圧に成功した。
だが今、現地は異形の姿へと変化を遂げ、ロシア全体にも影響を及ぼしている。毎日新聞モスクワ特派員としてその後のチェチェンを取材し、単著『ポスト・プーチン論序説 「チェチェン化」するロシア』にまとめた真野森作氏が知られざるロシアの異境を報告する。
米露それぞれの「対テロ」戦
2001年9月11日に起きた米国での同時多発テロ――。旅客機2機が相次いでニューヨークの世界貿易センタービルへ突っ込んでゆく中継映像は、多くの人の記憶に焼き付いているはずだ。
では、あのときブッシュ(子)米大統領へ真っ先に電話をかけた海外首脳は誰だったか? 答えは、ロシアのプーチン大統領である。プーチン氏はその夜には「我が国は米国民と共にあり、その痛みを完全に分かち合う。あなたたちを支える」とテレビで訴えかけた。「対テロ」で米国と共闘する立場を明確に打ち出したのだ。
もちろんそこには冷徹な計算があった。当時のロシアは1999年に開始した第2次チェチェン紛争の真っただ中にあり、ロシア軍はチェチェンの独立勢力やイスラム過激派と激しい戦闘を繰り広げていた。米同時多発テロを起こした「アルカイダ」などの国際テロ組織、イスラム過激派を多国間協力で封じ込める目的に加え、ロシア軍のチェチェンへの無差別攻撃について「人権侵害」と非難されるのを避けるためにも、米国との共闘はメリットがあった。