2021.11.17
# ロシア

プーチンの権力を強化…「チェチェン紛争」が現代ロシアに与えた「決定的な影響」

ポスト・プーチンのロシアを読む
真野 森作 プロフィール

この際のプーチン氏による有名な発言がある。「我々はあらゆる場所にテロリストたちを追い詰める。最後には便所でも奴らを捕まえ、ぶち殺す」。マフィア用語も交えた強い姿勢がテロにおびえていたロシア市民の心をつかんだ。1999年12月末、エリツィン大統領が突如辞任を表明して、プーチン氏は大統領代行に就任した。

 

翌2000年3月の大統領選でプーチン氏が初当選した勝因には、第2次チェチェン紛争開戦時の強硬姿勢が支持された要素が大きい。昨年、政権誕生20年を迎えたプーチン氏にとって、最高権力掌握につながる原点こそがチェチェンだった。

第2次紛争に対して、ロシアは2000年6月にチェチェンの親露派勢力による暫定政府を現地に設置する策に出る。独立派から寝返ったイスラム指導者のアフマト・カディロフ氏を長官に任命し、「チェチェン紛争のチェチェン化」を図った。つまり敵対勢力の掃討を彼らに委託し、ロシア人兵士がなるべく死傷しないようにするという方策だ。ロシア本土に影響が及ばなければ、現地でどんな人権侵害が起きようと構わないという姿勢でもあった。2004年にアフマト氏がテロで爆殺されると、その息子のラムザン氏にチェチェン共和国トップ(首長)の座を事実上世襲させて現在に至る。

しかし、プーチン氏の影響力が徐々に縮小するロシアで、この体制を維持できるのか。その後の経緯を含め【後編】「「若者のプーチン離れ」のなかで、ロシアはチェチェンとどう向き合うか?」でお伝えしよう。

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