2021.11.17
# ロシア

「若者のプーチン離れ」のなかで、ロシアは「チェチェン」とどう向き合うか?

ポスト・プーチンのロシアを読む

現代ロシアにとってチェチェン紛争がいかなる意味を持つのかを【前編】「プーチンの権力を強化…「チェチェン紛争」が現代ロシアに与えた「決定的な影響」」で概観した。第2次チェチェン紛争後、2000年にプーチン氏はチェチェンに暫定政府を作り、そのトップにアフマト・カディロフ氏を据える。その後、息子のラムザン氏が後継となったが…。

異境化したチェチェン

カディロフ親子とプーチン氏は「御恩と奉公」のような関係を結び、チェチェンの安定化を目指した。米国が侵攻先のアフガンやイラクで民主化を試みたのとは全く異なる手法だ。そうして生み出されたのが、藩王国(一定の自治が認められた土着の領国)のような現代チェチェンの姿である。

「テイプ」と呼ばれる氏族や山岳部と平野部という居住エリアの違いなどによっていくつかのグループに分かれていたチェチェン社会には、伝統的に長老を中心とした話し合いで物事を決める文化があったとされる。だが、カディロフ父子の支配下で独裁的な体制に変わった。

カディロフ父子〔PHOTO〕Gettyimages
 

2015年夏に私が現地で会ったチェチェンのイスラム最高指導者サラフ・メジエフ師は「カディロフ一族は神が遣わした聖なるファミリーである」と手放しでたたえた。主要なモスク(礼拝所)はラムザン氏の父アフマト氏や母アイマニ氏らの名前が冠されている。

また、共和国の要職には親族や友人が登用され、例えばラムザン氏の22歳の娘は文化副大臣を務める。英公共放送BBCがチェチェンの公務員158人の身元を確認した2018年の調査では、その3割がカディロフ家の親族、2割が同郷出身者、1割が友人やその家族だった。つまり全体の6割が縁故採用という機会不平等な社会になっている。

チェチェン市民の思いはどうか。二つの紛争という苦しい時期と比べれば、格段に安定したことは間違いない。連邦からの資金投入によってインフラ整備も進んだ。公園で清掃作業にあたる女性たちに話を聞くと「みんな戦争にはもうこりごり。普通に暮らしたい」と口々に語ったが、「戦争までの方が良い暮らしだった」と打ち明ける人もいた。

チェチェンの失業率はロシアの中で最も高く、最も平均月給が低い。庶民は貧しい上に、政治や言論の自由もない。子供たちはカディロフ父子への個人崇拝ムードの中で教育されている。

関連記事