前編の「膵臓がんで「余命11ヵ月の宣告」を受けた、72歳の男性の「苦しすぎる現実」」でもお伝えしたとおり、沈黙の臓器といわれる膵臓にがんができた場合、痛みなどの自覚症状がないため、発見されても「時すでに遅し」の状態だという。しかし現在は、治療法さえうまくハマれば、膵臓がんで命を落とす確率も減るという。
後編では実際に膵臓がんに罹り、余命は11ヵ月と宣告された男性が、ある治療法により根治を目指すまでに回復した事例を見ていこう。
「合う」医師との出会い
膵臓がんが見つかった水田賢一(72)さんは、早期発見でがんも21mmと小さかったため、手術はまったく心配していなかったという。しかしいざ開腹するとあちこちに病巣が広がる「腹膜播種」の状態で、余命11ヵ月の宣告を受けた。
その現実を受け止めきれず、混乱するばかりだったが、知人に紹介された「従来とは違う治療法を実践する」という医師が、水田さんの運命を変えることになる。西宮市明和病院・腫瘍内科部長の園田隆医師だ。
園田氏は当時、神戸の甲南病院に勤務しており、抗がん剤と、がん細胞の薬物耐性を取り除く薬(P糖タンパク阻害剤)を併用する治療法を実践していた。
「膵臓がんは、P糖タンパクという、抗がん剤への耐性を持った物質が増えやすいがんです。これが、抗がん剤が効きにくい理由になっています。
私はP糖タンパクの増殖を防ぐため、抗がん剤の投与前後にP糖タンパク阻害剤という薬剤を投与する、耐性克服化学療法を行っていたのです。
また、抗がん剤の投与方法も、局所へ直接届くように工夫しています。お腹にポートという薬剤を静脈に入れるための器具を埋め込み、腫瘍のある腹膜へ直接抗がん剤が届くようにしました」(園田氏)

園田氏の治療の特徴はこれだけではない。園田氏は水田さんの様子を観察し、抗がん剤の量を毎回変えていたのだ。水田さんが振り返る。
「園田先生は私の白血球の数値や髪の毛の抜け具合を見て、その時に投与できる量の上限ぎりぎりまで抗がん剤を投与してくれました。髪の毛が抜けると私はショックなのですが、先生はこれは薬が効いている証拠だと喜んでいたんです。
治療開始前には270以上まで上昇した腫瘍マーカーの数値も、治療を始めて2ヵ月後には基準値内におさまり、退院する時には18・9まで下がりました」