
田中芳樹のファンタジーを携えニュージーランドへ
細谷 本日は、篠原さんの新作『霊獣紀』を中心に、田中さんの作品や中国の歴史など、幅広い話をしていただこうと思っています。
篠原 緊張しています。
細谷 田中さんとの対談だからですか?
篠原 田中先生の作品は十代のときから読んでいます。『銀河英雄伝説』は全部持っていますし、『創竜伝』も日本を離れるまではずっと読んでいましたし、『アルスラーン戦記』も。それからニュージーランドにちょっと行ってくるってときに持っていったのが、長江の……。
田中 『長江落日賦』のことですか。あんな地味なものを(笑)。
篠原 あれ1冊が、それこそ10年も日本に帰れない自分の宝物でした。あの作品で胡旋舞(こせんぶ)というものを知りまして、それで西域に対する憧れが植え付けられたというか。
細谷 ニュージーランドに行った理由は。
篠原 ワーキングホリデーというものを知ったのが、ぎりぎり30歳の誕生日の前で、ちょっと行ってきますっていう感じです。それきり10年、帰ってこなかった。
田中 居心地が良かったんですかね。
篠原 そうなんです。あっちで結婚しちゃったこともありまして。すぐにパートで働き、主婦になって、子どもができてという感じです。インターネットがだんだん普及してきて、ウェブ小説が地味にはやっていたときで、あの時代はみんなホームページで自分の小説を発表していました。ネット上に文芸部みたいなサークルがあったんですね。
そこで感想を言い合っているうちに、巨大な、何もかもがそろっていて編集がとても楽な「小説家になろう」とか、自分でホームページ管理する手間もなく小説を発表したり、批評し合える場がいっぱいできたんです。それが2010年前後のことです。そして公募への投稿も続けて、2013年に野生時代フロンティア文学賞を受賞してデビューしました。
細谷 古代日本史のものですよね。
篠原 そうです。もともと書くのが好きだったので、二十代のときも投稿はしていました。出雲、松江市の出身ということもあり神話と古代史にこだわっていて、二十代のときに初めて投稿したものが、ヤマタノオロチ関係のファンタジーでした。
細谷 でも田中さんの中国物をニュージーランドに持っていったということは、昔からそういう中国物も好きだったのでしょうか。