2021.12.02
# 戦争

旧日本軍の「お粗末な戦いぶり」に呆れた…真珠湾作戦に参加した男が語った“戦争のむなしさ”

真珠湾の回想・第5回
神立 尚紀 プロフィール

初めての戦闘の時、怖いという気持ちは無かった

私は空母「赤城」乗組で、その日は第二次発進部隊の艦爆(急降下爆撃機)の偵察員(2人乗りの後席)として、九九式艦上爆撃機に乗って参加しました。

九九式艦上爆撃機(写真は空母「飛龍」所属機)

第二次の発艦は、第一次発艦部隊より1時間ほどあとになる。空母の飛行甲板上の発艦指揮は、若手の士官搭乗員が担当するのが不文律になっていたので、私が第一次の発艦指揮を務めました。発艦指揮とは、艦長、飛行長の「発艦始メ」の命令を受けて、飛行甲板上に並んだ飛行機を、白(発艦)、赤(待テ)の手旗を合図に順序よく発艦させることです。

燃料、弾薬を満載した飛行機を発艦させるため、母艦は風上に向かって合成風速15メートルになるように航行します。飛行服をつけると強風に吹き飛ばされるので、紺の軍服に飛行帽、飛行靴姿の軽装で発着艦指揮所に立ちました。すでに飛行甲板上には、零戦9機、九七艦攻27機の第一次発進部隊が、エンジンを始動し轟音を響かせていました。私は右手に赤、左手に白の手旗を持ち、最先頭の戦闘機隊長・板谷少佐機から発進の合図を出しました。

発艦直後の飛行機より撮影した空母「赤城」

まず赤手旗を体の前に掲げて発艦用意を知らせ、次いで白、赤手旗を下方に交差し、それを開ける動作で整備員に車輪止めを外させる。車輪止めが完全に外されたのを確認して、間髪を入れず白手旗を高く上げ、搭乗員に発艦を指示します。発艦開始は12月8日午前1時30分(日本時間)でした。つまり、真珠湾攻撃は私の白手旗で火ぶたを切ったわけです。攻撃隊は大きく左に旋回しながら所定の高度をとり、進撃態勢を整えて空のかなたへ消えました。

続いて、私たち第二次発進部隊に発艦の順番がまわってきました。軍服の上に飛行服を着るんですが、先ほどまで強風にさらされた体は熱く火照っていました。発艦して2時間ほど飛んだところで、オアフ島が見えてきた。島の緑は冴え、海岸線に打ち寄せる白い波頭も美しく、こんなにきれいなところを攻撃してもいいのかな、とふと思いました。

双眼鏡で攻撃進入方向を偵察すると、敵地上空になにか白いものがポカポカ浮かんでいるのが見える。それで、操縦員の田中義春一飛曹に「おい田中、あれは防塞(敵機の侵入を防ぐ)気球かな」と声をかけたんですが、田中は「分隊士は呑気だな。あれは敵が下から撃ち上げてるんですよ」と。それは対空砲火の弾幕だったんです。

 

島に近づいたときの高度が3500メートル、それからだんだん隊形を開いて目標に向かって急降下していくんですが、艦爆に搭載している250キロ爆弾では、装甲の厚い戦艦に対しては残念ながら効果は小さいので、攻撃目標に港内の油槽船を選びました。

私は初めての戦闘で、敵の弾丸の下をくぐるのはもちろん初めてでしたが、怖いという気持ちはありませんでした。機体に5発、被弾していましたが、それにも全く気がついていなかった。ただ、よく昔の英雄豪傑を形容するのに「千軍万馬のつわもの」なんて言うけど、戦争というのは回数を重ねれば重ねるほど怖くなる。人間というのはね、そういう弱いものじゃないかと私は思いますよ。

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