2021.12.02
# 戦争

旧日本軍の「お粗末な戦いぶり」に呆れた…真珠湾作戦に参加した男が語った“戦争のむなしさ”

真珠湾の回想・第5回
神立 尚紀 プロフィール

これまでの人生を振り返ってみると、戦争で生き残ったこともふくめて、私はほんとうに運がよかった。戦争でのいろいろな体験を書き残したら、と言ってくれる人もいますが、死んでいった非常に多くの上官、戦友、部下たちのことを思えば、自分のことでなにかを書き残そうという気持ちには到底なれないまま、今日に至っています。

(筆者注:大淵(本島)氏は昭和20年1月、フィリピンから内地に帰還後、肺炎で入院、その後、横須賀海軍航空隊に復帰して日本初のジェット機「橘花」(きっか)の実験に携わることになったが、橘花試作1号機は高岡迪少佐による2度めの試験飛行のさいの事故で失われ、ジェット機操縦の機会のないまま終戦を迎えた。戦後、姓名ともに変わって取材者の目に留まらなかったためか、「真珠湾60年」の平成13年、筆者のインタビューに応えるまでは一度も取材を受けたことがなかったという。)

本島自柳(大淵珪三)氏(2001年、撮影/神立尚紀)
 
筆者が制作協力した真珠湾攻撃80年関連番組「BS1スペシャル『真珠湾80年 生きて愛して、そして〜隊員900人の太平洋戦争〜」(仮)が、12月5日午後10時〜11時49分、NHK-BS1で放送予定です。

BS1スペシャル「真珠湾80年 生きて愛して、そして ~隊員900人の太平洋戦争~」(仮)
【放送予定】12月5日(日)[BS1]後10:00~11:49
80年前、太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃には900人近い航空隊の搭乗員が参加していた。彼らはその後、どんな運命をたどったのか。一人一人の記録をたどると、半数近くが開戦から1年以内に戦死し、生きて終戦を迎えたのは2割に満たなかった。卓越する技量を持つが故に、危険な最前線に投入され続けた者。死を覚悟する一方、家を継ぐために縁談を急いだ者。前線の基地から妻に宛て、焦がれるような思いの手紙を何通も送り続けた者。10年以上にわたり撮影してきた元隊員や遺族の証言を通して、“真珠湾の英雄”とその家族の、生と死を描く。
定価:1430円(税込)。講談社ビーシー/講談社。 真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた「大嘘」など全11章の、これまで語られることがなかった太平洋戦争秘話を収録。

関連記事