選ばれなくても喜ばせたい
米村さんは続ける。
「出店を迷っていたのは、全部の料理に自分の手をかけないとお客さんに満足いただけないと思い込んでいたから。でも結婚式という間接的な関わりの中でも、感動を生み出せるのなら、もっと多くの人を喜ばせてみたいと思ったのです。加えて、京都の店は昼も夜も、ほぼ常連さんの予約で埋まっていた。お互いによう知った間柄だと、好みもわかるから料理もしやすいし、心地いい関係ではあるけど、結婚式のお客さんは、結婚式に参加することが目的で、僕の料理を食べに来てるわけじゃない。出てきた料理が美味しくなくても、文句の言いようもない。そういうお客さんに喜んでもらうには、自分もアウェイの地でもっと挑戦していかないとあかんと、考えるようになりました」

アウェイの地・東京での結果は
東京の出店は複数の女性誌やテレビなど、メディアでも大きく報じられ、店は連日満席になった。米村氏は京都と東京の定休日をずらし、自分の休みは返上して、行ったり来たりしたという。クッキーも販売するようになったのは東京出店から数年後の2009年のことだった。

途中、交詢ビルから同じ銀座の別のビルに店を移すも、人気も評判も変わることはなかった。けれども、東京出店から15年目の’18年5月、銀座米村は突然閉店した。
「閉店の理由は、体がもたなかったから。休まない働き方には、無理があったし、どちらの店でも、いない間の弊害が出てきた」
カリスマと呼ばれる多くのシェフが経験する、また客たちの側にも生じている「シェフが店にいない弊害」とは、何なのか。人気者ゆえの悩みか、それとも有名シェフからの挨拶がないという、承認欲求の表れか。はたまたシェフの不在で、そんなにも料理は変わるものなのか。
米村シェフに聞くと、それは、「お客様の小さな不満の積み重ね」という。