アニメ『オッドタクシー』は「バズって闇落ち」する人への、救いの話なのかもしれない…!

高木 敦史 プロフィール

小戸川は「誰も傷つけない言葉を選ぶ」という信条の持ち主ですが、樺沢の発言に対しては「気持ち悪い」と一刀両断です。小戸川って結構偏屈? いえ、見ているこちらも、正直、気持ち悪いなと思いました。

なるほど、確かにそういうのがバズる世の中ではあるよな、とは、見る側の私もうっすら知っています。一方でそれを貪欲に求める若者の姿を開始早々に見せられることで、なんだか自分がすごく下品なことに巻き込まれたかのような不快感を抱いたのです。

みんなに認められたいということ

樺沢が言うところ「バスりたい」の目的は、いわゆる承認欲求を満たしたいというものでした。人から認められたいというのは、言い換えると「許されたい」という感情です。昨今、承認欲求の強い人が多いと言われるのは、この世界に生きていて「許されていない」と感じる人が多いことの表れかもしれません。

では何を許して欲しいのか。ぱっと思いつくのは、自分のために生きることでしょう。誰だって自分のために生きたいと考えているし、余力があれば人のために何かしたい、くらいのことは思っているでしょう。

 

ところが現実には、余力がないのに自分以外のために生きていると感じている人が多いのではないか。

昭和後期であれば、高度経済成長下の社会で頑張れば、金なり地位なり様々な特権を獲得できるという認識をほとんどが共有できていました。同じ方向を向いてみんなで走れた時代です。

その後、世界一の金持ち国になったバブル期の日本を経て、失われた30年なんて言われているいまは、生活スタイルが細分化され、幸福は人それぞれ……と言いながらもかつての残り香が漂い、やっぱり金とか地位とかわかりやすい物差しがないと、自分が幸福なのかどうか判断しづらい。

そんな中で、ネットで知らない他人の楽しそうな様子を見て「何かがおかしい」と感じる。自分も彼らと同様の幸福を得る権利を持っているはずなのに行使できていないのでは? でも、それが具体的に何の権利なのかはわからない——。

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