アニメ『オッドタクシー』は「バズって闇落ち」する人への、救いの話なのかもしれない…!

高木 敦史 プロフィール

承認欲求の正体

このときに「自分も」「自分だって」「自分こそ」と権利の獲得を目指す衝動が、現代における承認欲求の芽生えではないでしょうか。とはいえ、たいていの人にとって一人で社会に声を届けるのは難儀です。

そこで出てくるのが「バズる」です。バズらせるために、自身の主張を流行りの型に強引に当てはめたり、時には自分と主張を一部同じにするインフルエンサーの意見にタダ乗りしたりして、それらの意見が賞賛されれば自分の主張の正しさ——正義の根拠としていきます。

やがてコツをつかむと主張は作業化し、賞賛は報酬に変わります。すると更なるバズりをどんどん欲するようになる。バズればバズるほど、自分に正義が貯蓄となって増えていくと勘違いしてしまう。

このとき、正義はいわば「富の代替物」です。作業の報酬として正義を得てしまうと、それが富と同様に寡占や再分配できるものだと錯覚してしまいます。ところが正義で腹は膨れませんので、バズッてもバズッても一向に幸福になれる気配はない。

 

さてはまだ正義が足りないな?——やがて正義の寡占を目指し、「みんなから許されたい」が「みんなを許さない」に変わってゆく……いわゆる承認欲求モンスターの誕生です。

正義の不足分を他人から奪うために、承認欲求は不必要な断罪や数を伴った同調圧力へと変化します。それは成金が横暴に私腹を肥やす様に似ています。

幸福という目的のためにお金や名声を欲したのが、お金や名声自体が目的にすり替わる。そう考えれば、よくある話と言えます。

錯覚ではない幸福

樺沢が、最終的にどうなったのかは本編にゆずりますが、本来なら、幸福であるために誰かから承認を得る必要はないはずです。とすれば「誰からも認められなかったとしても」という前提に立ったときに、それでもなりたい自分、やりたいことが、その人の本当の幸福の姿でしょう。

承認欲求に振り回される人がすべきは、自分の主張が賞賛されたから正しい=自分は正しいから幸せになる権利がある、なんてややこしい段階を踏んだりすることではなく、「自分のなりたいものを自分で設定する」という自助のはずです。

そう、オッドタクシーにおいて、自分が一話目で「気持ち悪い」と不快感を抱いたのは、コビトカバの樺沢が自助を放棄し手近な名声をかき集めようとするバズ成金に感じたからです。

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