2021.12.14
# エンタメ

日テレもフジテレビも、「忠臣蔵」のドラマを作れなくなった「根本的な理由」

かつては「特別な作品」だったが…
元禄15年12月14日、大石内蔵助をはじめとする四十七士が吉良上野介を討ち取る「赤穂事件」が起こった。これに至る顛末を描いたのが「忠臣蔵」だ。かつてはよくドラマや映画になった「忠臣蔵」だが、最近では映像化される機会も格段に減ってきている。いったい、なぜなのか…? 時代劇研究家の春日太一氏の新刊『忠臣蔵入門』から、その理由を紹介しよう。
 

実は「一大プロジェクト」だった

忠臣蔵の映画やドラマが長いこと作られてきた背景として、作り手側にも大きな事情がありました。

「忠臣蔵」は大きな見せ場だけで六つあります。それぞれ屋内が主な舞台になるため、セットを作る必要があります。

「松の廊下」であれば、かなり長い廊下で襖に大きな松が描かれている。「大評定」の広間は赤穂藩の藩士全員が入る広いスペースになります。それから、祇園で大石が遊ぶ遊郭に「東下り」の宿に瑤泉院の屋敷。さらに討ち入りで使う吉良邸のセットも、大がかりなアクションを撮るだけの規模が必要になる。

どの見せ場も、セットにかなりお金がかかるわけです。

東映の太秦映画村にある時代劇のセット[Photo by gettyimages]

しかも、それぞれが、その一回の見せ場のためにしか使われません。つまり、1シーンだけのために大がかりなセットを作らなければならない。そのセットがいくつもある。それだけたくさんお金が必要だし、それを作れるだけのスタッフの技術力も必要になる。

そして何より、忠臣蔵はオールスターが前提になります。そうなるとキャストを集める資金力も政治力も必要。

つまり、「忠臣蔵」を作るというのはかなりの大プロジェクトなのです。

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