2022.01.10
# 歴史

昔は「身長」で決められていた? 元服から成人式まで、日本人における「成人」の歴史

元服する年齢は決まっていなかった

かつて日本では、一人前の大人とみなされる男子の成人式を「元服(げんぷく)」といった。

直接的には頭に冠を載せる儀式のことをいったが、首=元、冠=服が語源で、元服するまでの年少者は冠をつけることはなく、「童(わらわ)」として扱われていた。

この仕来りは、文字が記されるようになった「歴史」以前の、先史時代においても風俗としては存在していたかと思われる。

冠を加える成人式の、記録に残る正式の起源は、天武天皇11年(682)に規定された男子の結髪加冠(けっぱつかかん)の制であった。

もっとも、古代・中世において「元服」には厳密な年齢が定められていたわけではない。

当初は身長が一応の規準とされていたようで、それこそ「元服」は5、6歳から20歳ぐらいの幅をもって行われた。要は外見上、大人にみえることが大切であったわけだ。ちなみに平安時代の、歴代天皇の元服平均年齢は13.18歳であった。
 
整備されていく元服の儀式では、「加冠」「理髪」「能冠(のうかん)」の三役が定められるようになり、最重要な役である「加冠」をつとめるのは、もっとも身分の高い者、権威・権力のある者が担当した。天皇の場合は太政大臣がつとめ、皇太子の場合は「傳(ふ)」があたった。

 

鎌倉幕府の世になると、初代将軍の源頼朝の死後、2代将軍となった頼朝の長子・頼家(よりいえ)の場合、「加冠」は外祖父にあたる北条時政がつとめた。彼が幕府の最高権力者であったことが、この一事で知れよう。

武家の世界では、有力者を仮親(かりおや)として烏帽子(えぼし)を冠してもらう風習となり、「加冠」してくれる者を「烏帽子親(えぼしおや)」といった。諱(いみな・正式な名前)を付けるのも、この烏帽子親でとなる。

室町将軍家は管領職(かんれいしき)が、徳川将軍家では井伊(いい)氏をはじめ名門武家がその役をつとめた。

近代になると、成人式の挙行年齢は数え年15歳頃が基準となる(女子は同じく13歳頃)。

成人式を済ませると、一人前の大人として扱われることになるのは、「加冠」の頃と変わらない。儀式の形は変われども、式を行うことで、それまでと異なる自覚が求められたのが「成人」であった。

今年4月、成人の年齢が引き下げられる/photo by gettyimages

成人は平成28年(2016)までは、ともに20歳が対象であった。が、同年6月から公職選挙法の改正で、選挙権や国民投票の投票権が18歳に引き下げられたことにより、さらには令和4年(2022)4月1日からは、民法で定められる成年年齢も20歳から18歳へと、引き下げられることが決まった。

本年(令和4年)については、各自治体で行われる成人式は9割程度、依然として20歳が対象となっている。来年(令和5年)からは18歳に引き下げられるところもあるようだが、現行の20歳のままが主流のようだ。

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