2022.01.10
# 歴史

昔は「身長」で決められていた? 元服から成人式まで、日本人における「成人」の歴史

加来 耕三 プロフィール

大人としての自覚

歴史的にみた成人年齢の上限・下限は、あまり問題ではない。重要なのは中身であった。

近代日本にあっては、「成人」となれば徴兵制の義務が生じ、日清・日露の両戦役、アジア・太平洋戦争でも多くの「成人」が戦場へ赴いた。

いま、徴兵制はなくなり、「成人」の仲間入りをはたした確証といえば、飲酒とタバコ、それ以外といえば、選挙権であろうか。もっとも、本年4月以降も飲酒・喫煙、公営ギャンブルなどの年齢制限は20歳のままだが。

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歴史はいつの時代も子供は、大人になることを喜び、楽しみにしてきたものだが、一方で「成人」は大人への自覚と責任意識を求められることを、えてしてわれわれは忘れがちとなる。

今も昔も大人になれば、これからの未来と共に、家のこと、父母のこと、兄弟・姉妹のこと、生まれ育った地域のこと、そして国民としてのあり方についても、大人の一人としての自覚を持たねばならない。

が、さて、成人式を通過した日本人の中で、どれほどの人がその大人としての自覚を持っているのだろうか。というより、そもそも考えてきた日本人がどれだけいたであろうか。

日本史は大半の「成人」が、大人としての自覚を持っていなかったことを雄弁に語っていた。

こんなことをいうと、読者諸氏を驚かすようで恐縮なのだが、われわれ日本人の大人は今、一人ひとりが大きな時代の分岐点に立たされている。それも、のっぴきならない状況で――。

戦後の「昭和」の高度経済成長の残映を求めて、夢よもう一度と、国家財政破綻を賭しての大博奕の道を往くのか。それとも「平成」「令和」とつづいた低成長の現実を受け止め、肯定し、経済的効率を捨てた、これまでとは異なる道、心豊かな明日をむかえるべく、大きく人生の舵を切るのか、道は残念ながら二者択一しかなかった。

 

――歴史はくり返す。

よくアジア・太平洋戦争を歴史的に総括しないから、「昭和」の戦後史が定まらず、そのまま今日にいたっているとの論調を耳にする。けれども、これは正確ではない。先の戦争は、総括するまでもなく自明の選択を明らかにしていた。

「昭和」のはじめ、金融恐慌、農産物の潰滅的凶作、世界恐慌を迎えた日本の進むべき道は、「令和」の今と同じく二方向しかなかった。

一つは日清・日露の両役に連勝し、勢いづいた軍国主義をもって、さらなる夢をと、アジア全体へ日本の国威を広げるという選択。もう一つは、世界協調の流れにそって、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、物資的まずしさを精神的豊かさに変える工夫をして、生き残る努力をするか。

現行の維持・延長は、基本的に痛みをともなわない。大きな方向転換や変革には、多種多様な痛みがともなう。この二者択一をつきつけられた日本人は、前者を選んだ。

日本はアメリカ・イギリス・中国・オランダのABCD包囲網をはじめ、数多の国を相手に戦い、昭和20年(1945)8月15日の終戦を迎えた。

多くの人々の死と原爆の威力によって、日本人は戦後(post war)、内戦・クーデターを展開するだけのエネルギーも失ったまま、辛うじて祖国再建にハンドルを切ることに成功した。これは生きて行かねばならない、という生理上の想いが、朝鮮動乱による特需と結びつき、高度経済成長へとつながった結果といってよい。

もし⽇本⼈に⼤⼈としての⾃覚があり、リスクを想定することができていれば、先の⼤戦のような悲劇は⽣まれなかった。筆者は、歴史の世界には、戦争という誤った選択をしないヒントが数多ある、と信じている。

日本人の大人一人ひとりの意識が変われば、国家も政府も変わらざるを得まい。

経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともなく、また歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなどまったくない、ということです。(ヘーゲル『歴史哲学講義』)
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