成人になったからこそ、「歴史」を学んでほしい

人生は残念ながら、トラック競争ではない。
同じスタートラインから、同一ルールに則って、同じ目的に向かって走る――そのようなことは元来、あり得ない。つまり、もともと人生とは不公平なものであった。スタートラインもバラバラならば、ゴールも各々、異なっている。
したがって、他人と自分を比較して、その格差を考えたり嘆いてもしかたがなかった。
けれども、人は皆、スタートラインにおける格差を嘆き、苦情を口にする。そして、逆境や苦境に直面すると、己れを哀惜して(悲しみおしみ)、心が折れた自らを慰め、敗北を嚙みしめて、不完全燃焼の火を消してしまう。
ところが歴史上には、己れの生まれ落ちた環境に、どこまでも納得せず、一心不乱に捨て身で脱出を試みて、ついには成功した人物がいた。歴史上の人物に学べば、未来は大きく開くに違いない。
歴史に学ぶべきは、「逆演算」「仮想演習」であろう。学ばねば日本は、「元服」前の「童」ばかりの国になってしまうのではないか。