『日本沈没』昭和版・平成版・令和版、それぞれに映し出された「圧倒的な時代の空気」

堀井 憲一郎 プロフィール

「見ている人に最後の最後は少しほっとしてもらう」、というのが2021年世界では大事なのだろう。

「国土がなくなるという民族的苦難くらい、日本人なら何とかするはずだ」という中二病の大人が減ったのかもしれない。

2006年の映画ともども、21世紀は20世紀のようなハードな結末を描かない。

 

50年の技術の差

2021年のドラマは、列島が沈んでいく映像がリアルだった。

「ミニチュア模型に水がかかっている」ふうの昭和の映像とずいぶん違う。ここはさすがに50年の技術の差がある。

都市部があっという間に沈み、高層ビルだけが残るところ、それもすぐに沈んでいくところ、また、日本列島がまたたくまに浸潤していき、地図から消えていくところ。
見ていて、ちょっと声が出そうになった。

声が出そうになるが、何と言っていいかわからないので、言葉は出せず、呻きのような音を洩らしながら、茫然と見ている。

災害がリアルタイムで中継されると、人はそういう反応をしてしまう。

ドラマなのにそういう反応をしてしまった。

2021年のドラマは、この「沈みゆく日本列島」を見せるために作られたのではないか、とさえおもった。

そして、すべて沈むのかと息を呑んで見ていると、沈没が止まった。

青森のところで止まった。

大きな災害が奇跡的に止まった瞬間を見て、これがフィクションだろうと何だろうと、心躍ったのだ。

九州が変な形で残ったのを見て、ちょっと笑ってしまった。緊張が解けたからかもしれない。あれだと八州、ヘタしたら七州だぞ、とおもって見ていた。

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