名門・花田家の厳しい掟
マスコミに追われる人生が羨ましい、という人も中にはいるかもしれない。
ただ、「相撲の名門」花田家は、そういった想いではとてもやっていけないような、厳しい環境だったという。
「僕は幼稚園から中学まで青学に通いました。高校が青学じゃないのは、うちは相撲の家系なので、皆さん力士じゃないですか。だから15歳を過ぎたら家を出て仕事をする、それが当然っていう雰囲気がありました。
そういう家に育ったので、早く稼げるようになって自活すると決めていました。僕の場合、一度アメリカに行こうと決めてて、15歳でボストンに留学したんですけどね」

「一方、相撲はやるなと言われてました。
おじいちゃん、つまり初代貴乃花が、『息子が相撲を取ってるのを見るだけで心臓が飛び出そうなのに、孫が取ったら本当に心臓が飛び出る。だからやめてくれ』と言っていました。
そもそも、相撲をやってみたいという気持ちも全くなかったです。
相撲は大好きで、毎場所見ていますけど。父と同じ業界に入るって、ある意味、父より強くなることを目指すってことじゃないですか。僕にとって父は憧れの存在だし……、そんなつもりは全くなかったですね。憧れは憧れのままにしておきたかった」
そんな優一さんは15歳でアメリカに渡り、ボストンで寮生活を送りながら、今後の人生設計についてじっくり考えていたのだという。後編記事『靴職人・花田優一が明かす「親父のことは今でもめちゃくちゃ好き」』では、そんな優一さんの波乱万丈人生をさらに詳しくお伝えしよう。