世界文学「語り直し」ブーム
国内外で古典の語り直しが次々と出た年でした。英米ではここしばらく、戦争もの、とくにトロイア戦争を女性の目から語り直す作品が増えています。また、シェイクスピアの没後400年の2016年前後から、シェイクスピア劇の翻案もよく見られます。
日本では、河出書房新社の「日本文学全集」の刊行に伴い、古川日出男『平家物語 犬王の巻』(河出文庫 本書を底本にしたテレビアニメが来年1月から地上波放送。初夏には本書のアニメ版が劇場公開予定)や、川上弘美が『伊勢物語』のモチーフを女性主人公で展開した『三度目の恋』(中央公論新社)、池澤夏樹が『古事記』を下敷にして書いた『ワカタケル』(日本経済新聞出版)なども刊行されました。また、いとうせいこう「夜を昼の國」(『夢七日 夜を昼の國』収録、文藝春秋)は今のネット時代に特筆すべきアダプテーション作品です。数々の歌舞伎や浄瑠璃の演目となってきたお染久松の心中物語を、お染のモノローグで再構築しています。好き勝手に物語に書かれてきたお染が甦り、ネットの中傷に立ち向かう。”流言”の構造を明らかにし、古典の「異本論」としても読み応えがあります。
では、今年刊行のリトールドものから傑作二作を。
8 マギー・オファーレル『ハムネット』小竹由美子/訳 新潮クレスト・ブックス
主人公はアン・ハサウェイ。そう、あの女優と同姓同名の、ウィリアム・シェイクスピアの妻です。本作中では「アグネス」と呼ばれています。
かねてより「悪妻」の烙印を押されてきた女性です。”無知な百姓あがりで、八歳下の十八歳の天才少年を誑かして、渋々結婚させた”ということになっています。オファーレルは調査を元にこの悪妻像を覆します。この夫婦を、当代一の劇作家として成功していく男性と、多才で自立的な女性として描き直すのです。
1580年代に始まる物語の背景にはペスト禍があります。三人の子どもの親である夫婦は、それをどのように乗り超えていくのか? 題名のHamnetとは、幼少期に没した夫婦の息子の名ですが、なぜ夫は亡くした息子とほぼ同じ名を悲劇「ハムレット」に用いたのでしょう? シェイクスピアらしい身代わりのモチーフが救済をもたらす大傑作です。
シェイクスピア劇への”異議申し立て”としての語り直しもあります。『ヴィネガー・ガール』は、女性差別が問題視される初期作『じゃじゃ馬ならし』をタイラー一流の語りで軽妙に飼いならします。強情な跳ねっかえり娘のキャタリーナ役は、元植物学専攻の29歳の女性にリライトされました。学者で変わり者の父と、男ウケのいいブロンド美人の妹と同居し、家事を切り盛りしながら、プリスクールの教員アシスタントをしている。
彼女に求婚してくるペトルーチオ役は、ビザ切れ間近の外国人研究者に書き換えられ、妙に現実味を帯びた。アン・タイラー曰く、シェイクスピア劇はどれも好きではないが、なかでも『じゃじゃ馬ならし』がきらいなので、そっくり書き直すことにした、とか。
巻末でもシェイクスピア研究者の北村紗衣が『じゃじゃ馬ならし』がどのように問題視されてきたのか、わかりやすく教えてくれます。本編も解説も痛快。