多くの日本人が、箱根駅伝に「こんなにも熱中」してしまう理由

もはや〈神なき時代〉の神事である
奥井 智之 プロフィール

その一方で和服において袂(たもと)をたくし上げるための紐や布のことも、襷と呼ぶ。いまでもたまに、和服で仕事をする人々が襷をかけている姿を目にする。

どうやら襷には、象徴的な側面と実用的な側面の両面があるらしい。その上でここでは、襷の象徴的側面に関心をもつ。——いったい襷がけには、いかなる意味があるのか。

日本神話でアメノウズメは、天の岩戸の前でセクシーな舞踊をするとき襷をかけている。あるいはまた古代の埴輪の女子像のなかにも、襷がけの姿が見られる。鉢巻(はちまき)と同じくこれは、巫女が神懸りをするための姿であったという(戸井田道三『きものの思想』)。

今日でも駅伝の選手や選挙の候補者が、襷をかけたり鉢巻を締めたりしているのはなぜか。そうすることでかれらは——ほとんど無意識のうちに——何らかの霊力に与(あずか)りたいと願っているように映る。

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よく知られるように箱根駅伝には、繰り上げスタートという制度がある。制限時間内に選手が中継所に着かないときに、次の選手が別の襷をかけてスタートするというのがそれである。

選手たちは大学ごとに、お揃いのシャツとパンツを着用し、一本の襷を中継する。かれらの力走を支えるのは、「何としても襷をつながなければならない」という信念である。襷はそこで、選手たちの「仲間の絆」を象徴するものである。

この襷の中継が途絶える——「仲間の絆」が断たれる——事態こそが、繰り上げスタートである。参加チームにとってそれは、きわめて屈辱的な出来事である。

それ以上に屈辱的なのは、選手が何らかのアクシデントで中継所に辿り着けない事態である。大会の規程上チームのレースは、その時点で終わる。それはまさに、〈チームの死〉と同然の出来事である。

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