(ちなみに、男性と食が結びつく際のキーワードとして、ほかにも「大胆さ」「ワイルドさ」「こだわり」など、お互いに矛盾しかねない複数のキーワードが挙げられるのも興味深いものがあります。これは男性性が社会で与えられた種々の相異なるイメージと相互に影響し合っているように思います)
痛覚を麻痺させて生きる男性
また、男性学の知見は、少なくない男性が「男らしさ」のプレッシャーの結果として「感情を抑制すること」を迫られてきたということも指摘しています。前出の『日本の男性の心理学』はこう述べています。
〈「男らしく」なるには、絶え間ない他者との競争に打ち勝つだけの身体的・精神的な強さが必要である。しかも、この競争に常に、あるいは誰もが勝てるとは限らない。心身共に傷つき、敗れることがあっても、「弱みを見せず」「感情を表に出さず」「冷静」に優越性を保たなくてはならない〉
感情を抑え、いわば「痛覚を麻痺させながら生きる」ことを求められがちな男性たちは、自分の身体の痛みや、身体が上げる小さな声に耳を傾けるのが苦手だったと言えるかもしれません。その点でも、五郎さんが五感に忠実に、またそれを反響させ増幅させながら「心の声」を上げたり、素朴な感想を述べたりするシーンは、「オルタナティブなおじさん」のイメージ構築に貢献しているように見えます。
五郎さんはしばしば「俺はいま、いったい何腹だ?」と、自分の欲望を丁寧に精査しながら店を探しますが、この表現もこの観点からは印象的です。