馬淵優佳さん連載「スポーツが教えてくれること」はいつもアスリートの方々に優佳さんがインタビューをし、原稿を執筆しているものだ。2022年最初の連載は、特別編として、ご自身の決意について執筆いただくことになった。元飛込み日本代表で、競泳の瀬戸大也さんとの結婚後に引退、2児の母である優佳さんが、現役選手として復帰することを決意したというのだ。それはなぜなのか。率直な思いを綴っていただいた。

撮影/杉山和行
(まぶち・ゆか)1995年2月5日生まれ、兵庫県宝塚市出身。甲子園学院高等学校、立命館大学スポーツ健康科学部卒業。戸籍名・瀬戸優佳 日本飛び込み界の第一人者である実父の馬淵崇英氏(元日本代表飛込ヘッドコーチ)に影響を受けて、3歳で水泳と飛込の練習を始める。本格的に飛込競技を始めたのは小学4年生からで、中学3年からは崇英氏の本格的な指導を受ける。その後、2009年には東アジア大会3メートル板飛び込みで銅メダルを獲得。2011年には世界選手権代表選考会3メートル板飛び込みで優勝をして、世界選手権に初出場するなど、飛込会では一番の若手選手に成長。立命館大学に進学後も日本学生選手権2連覇を達成、「入水のセンス」を武器に結果を残す。 2017年に競泳日本代表の瀬戸大也選手と結婚し、サポートに徹するために惜しまれつつも現役を引退。2018年に第1子、2020年に第2子と誕生し、2児の母となる。
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3歳から飛込みを始めた

私は3歳の頃から飛込みを始めました。そして小学生のころから本格的にオリンピックを目指し、練習をしてきました。日本代表のコーチでもある父の指導を受けるようになったのが中学生のころです。以前の記事でも詳しく書いていますが、高校2年生のときに国際大会派遣選手選考会に出場し、世界選手権の日本代表に選ばれました。

4歳の時の写真…写真提供/馬淵優佳
2014年長崎国体にて、父で日本代表の飛込み監督でもある崇英さんと 写真提供/馬淵優佳

2017年、大学卒業と同時に現役引退し、その後結婚、出産と目まぐるしく環境が変わりました。日々子育てや家事に追われていた気がします。現役アスリートから一転、アスリートを支える妻になり、母親になり、初めてだらけで大変だったけど、幸せで充実していました。

でも心のどこかで、社会人として立派に働く同級生たちを羨ましく思うこともありました。周りから肩書きが書かれた名刺をたくさんもらうのに、自分には名刺もない。もちろん「主婦」は立派な無償労働で、職業欄に書くことはできます。家族を支えることを第一に考えることがいかに大切かもわかります。そして、専業主婦として本当に素晴らしく生きていらっしゃる方が多くいます。それでも、私自身は心の中で自分の役割が家にしかない気がして、悶々としていました。

飛込みの世界から飛び出して、色んなことをやってみたいと思っていたのに、結局世間知らずのまま。私なりに妻として家を守らなきゃ、立派な母親にならなきゃ、そんな重圧を勝手に感じて苦しむこともありました。まだ20代なのに、このまま家事と育児で終わっちゃうのかな…そんなネガティブな考えで過ごしていた時期もありました。今思えば、産後うつみたいな状態だったのかもしれません。

お仕事をいただいたときの喜び

2018年、長女が産まれて2ヵ月たったとき、あるお仕事の話をいただきました。それは、元飛込み選手の『馬淵優佳』として出演するディズニーのwebCM。「あなたらしく、夢を描こう」というテーマで、夢を追いかける女性たちが出演する中、私は飛込みを披露しました。

久しぶりに飛ぶのはとても気持ちよかったし、本当の自分に戻れた気がしました。それは何より、妻でもなく母親でもなく、1人の「わたし」としてお仕事をいただけたことがすごく嬉しかったからだと思うのです。その感覚が忘れられないまま、毎日が慌ただしく過ぎていきました。次女の妊娠が分かった時、ふとこのままじゃダメだと思いました。なにか行動を起こさないと、と。その時頭に思い浮かんだのが、ディズニーwebCMをいただいたときにお世話になった今の事務所でした。

すぐに連絡を取って出産前に直接会う約束をとり、自分の想いを全て話しました。「自分が何者かわからない」「自分にできる仕事がしたい」「誰かの妻とか誰かの母ではない自分としての生き方も考えたい」と。私の言葉に事務所の社長さんが共感して応援してくださり、そこから積極的に活動するようになりました。飛込みの解説、バラエティー番組、情報番組のコメンテーター、コラムニスト、女優、色んなことを経験させていただきました。お仕事をご一緒させていただけたみなさまには心から感謝しています。