マンガ/車谷晴子 文/FRaUweb
エンパシーとは「自分で誰かの靴を履いてみること」
「自分で誰かの靴を履いてみること」
2020年の本屋大賞ノンフィクション賞に輝いたブレイディみかこさんの『僕はイエローでホワイトで、少しブルー』には、こんな言葉が出てくる。10代の息子さんが「エンパシー」という言葉を説明するとき、この慣用句を使ったのだ。
エンパシーとは、「同情・共感」の意味を示すシンパシーとは微妙に異なり、想像力を働かせて相手の立場を思いやることだ。
綺麗に見せなければならないハイヒールかもしれない。濡れても大丈夫な長靴かもしれない、穴が開いているサッカーシューズかもしれない。その人がよく履いている靴を履いてみる、つまりその人の立場に立ってみることが、エンパシー。ただ共感するのではなく、相手のことを想像して理解することになるという。なるほど、とても分かりやすい。
多くの場面でそういう風に相手の立場を想像すると、周りに優しくなれることがきっと多くあるはずだ。
とはいえ、なかなかそう簡単に想像力を発揮するのも難しい。特に絶対経験ができないような事柄に関しては溝ができてしまいがちだ。
その代表的な問題が妊娠・出産といえるのではないだろうか。
相手の靴を履いてみようにも、妊娠・出産するというのは限られた可能性の中で起こること。「履いてみる靴」はないし、履いてみることを想像するにもなかなか難しい。
そんな時に妊娠・出産について靴を履くと同じように理解ができ、「この漫画をもっと早く夫に読ませたかった」「母子手帳といっしょに配布してほしい」「教科書に載せてほしい」と多くの声が上がった漫画が、車谷晴子さんの『朝起きたら妻になって妊娠していた俺のレポート』である。
理解ある優しい夫の俺が「妊娠した妻」になったら
『朝起きたら妻になって妊娠していた俺のレポート』は2020年から漫画アプリ『Palcy(パルシィ)』に連載され、共感の声が殺到した車谷晴子さんのコミックである。
冒頭、出産直後に離婚を言われる衝撃的なシーンから始まるこの物語は、「優しくて理解ある夫」と思っていた夫・優一が、意識を失って起きたら過去にさかのぼって妊娠中の妻・華になっており、「自分」である夫とともに妊娠中の生活を暮らすというリアルファンタジーだ。
優一は華になってみて、
「俺、超理解ある夫だったじゃん」
と思っていたことが、ことごとく的外れで自分勝手だったと認識していく。
記念日に美味しい肉のレストランを予約し、優しいつもりでつわりでとっても食べられない妻を無理やり連れて行ったり。
具合が悪い妻に「1日寝てたの?いいなー」と言ったり。
「疲れて帰ってきた夫にカップ麺も作ってくれねーの?」と言ったり。
「妊娠はビョーキじゃねーんだし、体調管理しろよ」と言ったり。
妻になった優一は思わず「自分自身」に殺意を抱く。

さらに優一の場合は、「家事は女性がやって当然」という刷り込みもあったのがかなりやっかいだった。優一の母が華に「同じように息子の世話もしちゃってね!? ある日気づいたの! やだ私! 大っきい赤ちゃん世の中に送り出しちゃったって!!!」と心配するほどだ。ちなみに共働き家庭である。

こうして華の立場になって初めて多くの気づきを得た優一は、「俺って最低だった」ことに気づいていく。気づきさえすれば、その相手の立場を理解さえできれば、変わることはできる。そうしてお互いを思いやっていけば、夫婦はなにか問題が起きても乗り越えられるだろう。
さて、そんな優一の物語から主人公を変え、今度は「妊娠・出産後」の育児に焦点を当てて車谷さんが描いたのが『朝起きたら妻になって妊娠していた俺のレポート 子育て編』である。今回のテーマは「産後の子育て」。妊娠・出産のあとは子育てが始まる。父にも母にも、子どもが誕生したらすぐなれるものではないということ、子育てのスタートは夫も妻も同じであることを、普通だったら絶対に履くことができない「産後の母」という靴を履かせてくれることで、リアルにユーモラスに教えてくれるのである。