2022.01.14

『昆虫記』のファーブル、じつは「年収160万円」のなかで研究に励んでいた…!

フンコロガシのエサ代にも困り…
堀江 宏樹 プロフィール

『昆虫記』の第1巻には、おそらく1860年代後半の「ある冬の晩」の回想として、「25年も勤め、功績も認められないではなかったのに、私は年1600フランという、金持ちの(家で雇われている)馬丁の給料より少ないお金をもらっていた」と愚痴る部分が出てきます。

19世紀の1フラン=現代日本の1000円として換算すると、教員生活25年目を迎えてなお、年収160万円……単純計算で月給133フラン=月給13万円という厳しい数字がはじき出されるのでした。

「教師って学士免状とか本当にいろいろと専門資格が必要とされるわりには、そして長年勤務しても、ずーっと低収入のままなんだよなぁ」的な不満をファーブルがこぼす理由、そして自身を「貧乏教師」と自嘲するのもわかる気はしますね。

 

フンコロガシのエサ代に苦しむ

さて、昆虫学者ファーブルがフンコロガシと運命の出会いをしてしまったのは1853年以降、フランス南東部のアヴィニョンでの生活においてです。この頃のファーブルは当地で高校教師を勤めつつ、余暇を使って昆虫たちの生態を徹底的に調査する日々を過ごしていました。中でも強く惹かれたのが、特殊な生態で知られるフンコロガシだったのです。

彼の有名な『昆虫記』も、フンコロガシの話で始まっています。この本はファーブルの興味が赴くまま、さまざまな昆虫について語っては、別の昆虫に話題が移りまた戻る、自由な構成で綴られます。第1巻では冒頭から、飼育がとくに困難だったフンコロガシの思い出話が披露されているのです。

なぜ、フンコロガシの飼育がそんなに難しかったのでしょうか。

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