2022.01.10

「じゃっかん19歳で…」の表記、「弱冠」「若干」どちらを使ってもヘン…かもしれません

堀井 憲一郎 プロフィール

10年刻みで、男子の生き方の指針を示している。

見ればわかるように、その年でやらなければいけないこと、ではない。すべての男子は30歳で妻を迎えよ、という規律でもなければ、指令でもない。目処である。

20歳のことを「弱」と呼ぶ、その年では「冠」をかぶっていないといけない、大人社会に入りなさい。そういうガイダンスである。どちらかというと、「20までに」というニュアンスだろう。

もはや子供ではないということを内外にわかりやすく示す儀式が「冠す」である。

むかしの人は40から50くらいで一期を迎えるつもりで生きていたから、成人の儀式はふつう十代半ばである。人によってはもっと早い。そうしないと間に合わない(自分の子供の成人前に死んでしまう)。

30には結婚していろ、40には仕官するつもりでいろ、50では指導者になることを考えて生きよ。そういう話である。

20には大人になっていろ。

そういうことである。

 

なぜ20が「弱」で40が「強」なのか

それぞれの目処とされた年齢は、二文字単語と一緒に記憶された。

10歳:幼学。
20歳:弱冠。
30歳:壮室。
40歳:強仕。
50歳:服。

ちょっと話がずれるが、若いときにこれを読んだときは、20を弱、40を強、とする感覚がわからなかった。若いうちは体力が頼りで、年を取るとそれが衰えていくわけだから、20のほうが40より体力が強いだろうと、そういうふうにおもっていた。

どっちの年齢も越えると、言葉の配置がよくわかってくる。

やはり20は弱で、40は強なのだ。

この言葉は単に「力が強い・弱い」を指しているのではない(そうとらえてしまうのが若さなんだとおもう)。

たとえば皮膚の弾力をおもいうかべるとわかる。

男でも20歳の肌は弱で、40の肌が強である。

「弱」は強くない=弱いという一面性だけを表していない。

「たおやか」とか「しなやか」という意味合いも含んでいる。

「強い」は「こわい」と読むこともできて、それはゴワゴワしているとか、ガチガチに固いという意味にもなる。

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