2022.01.17
# 事件

墓地から死体を盗み、火葬場で骨を拾い…「人骨黒焼き職人」の信じがたい所業

人骨黒焼きは、本当に効いたのか?

昭和56年(1981)の春、岡山県で一人の老人が逮捕された。彼の名前は黒神信二(仮名、当時72歳)。容疑は薬事法違反だったが、黒神が製造・販売していた薬が原因となって、この事件は大きく報道されることとなる。彼はなんと人間の骨を「黒焼き」にして、売りさばいていたのだった…。

【前編】『人間の骨を「黒焼き」に加工し、“薬”として町内で売り歩いた「常習犯」の正体』に引き続き、現地取材を経て明らかになった彼の素顔を解き明かしていきたい。

民間療法の頂点にあった「人骨黒焼き」

黒神を幼いときから知る人が言うには、彼が人骨黒焼きの製造を始めたのは、第二次大戦後ほどなくしてからだったらしい。昭和20年代である。

黒神は岡山県の山間の村で生まれ育ったが、そこは戦後になってもしばらくの間、まともな医療機関は存在していなかった。だから、当時は住民たちの間でも、薬草や迷信などの民間療法が一般的に信じられ、存在していたという。

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その中で人骨の黒焼きを粉砕した粉薬は、数ある民間療法の頂点を占める、非常に特別な特効薬だった。

人骨の黒焼きは万病に効くという。

とりわけ結核をはじめとする肺の病には、特に効果があったとされていた。自分自身の父親が黒神の同級生で、黒神の昔を伝え知る村の老人は私にこう証言してくれた。

「太平洋戦争が終わって、戦後しばらくたつまでは、結核の治療薬なんてありませんでした。だから、人骨の黒焼きはその特効薬としてとても重宝されていましたよ。値段も高かったし。

でも、それはここらだけじゃなく、全国どこでもそうだったんじゃないですか。当時は、お医者さんにかかるなんて、お金のない一般庶民にはとうていかなわないことでしたから。だって、食べ物ですら、ろくになかったんですよ。肺の病にかかったら普通はもうダメです。だから薬草やら、いろんなものにすがるしかなかったんですよ。

ですが、戦後になってしばらくすると、ようやく結核の特効薬がだんだんと出始めました。そして、そんな時分から、黒焼きを買う人はどんどん減っていきましたなあ」

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