そのような前近代的な風土ゆえに、黒神は人骨の黒焼きの効果を心の底から信じ切って、その製造、販売に手を染めていく。
戦後しばらくの間は、人骨の黒焼きを製造・販売しても、それほど目立たなかった。黒神も警察に捕まらずに済んでいたようだ。
最大のお得意様は主婦だった
私が記録を調べた限り、彼がその生涯で最初に警察に摘発されたのは、昭和45年(1970)の大阪万国博覧会開催の年のことだった。
この時黒神は、広島から岡山にかけてのかなり広い範囲で人骨の黒焼きを売りさばいていたのだ。そして、このことが警察当局の目に留まった。
この時は人骨だけではなかった。イモリなどの黒焼きを人骨に混ぜた粉末を「結核の特効薬」と称して、約200人に販売していたという。

顧客の中でも一番のお得意さんは、なんと主婦層だった。大人の女性に一番需要があったのである。
黒神は客に1日3回の服用を勧め、1ヵ月分(90包)を3000円(現在の1万〜2万円)で販売していたという。決して安い買い物ではなかった。
後述するように、実は黒神が材料をタダ同然で調達していたことを考えると、なかなか割のいい商売だったようである。
一方で客の側へと視点を変えれば、自分や家族の病気が治らずに悩み苦しむ当時の人は、藁をもすがる思いで黒焼きを頼ったのだろう。
しかし、黒神の高価な人骨の黒焼きを飲んでもいっこうに効果があがらなかった客がいたようで、不満に思った一人が警察に訴え出たようだ。