2022.01.13
# エンタメ

なぜ「女性の落語家」は少ないのに「女性の講談師」が多いの…? その「意外な理由」

堀井 憲一郎 プロフィール

若者らしさをどこで出すか、隠居の老人らしい喋りは何か、下働きの女性から商家の大奥さま、吉原の上品な花魁とすれっからしの女郎と、女性はどう演じ分けるのか、それぞれの手立てが、工夫され、伝えられている。

言葉だけではなく、ちょっとした仕草でそう見えるようになっている。

そしてそれは「男性が演じるもの」として工夫してきた伝統がある。200年を超える伝統である。

べつだん女性を意図的に排除していたわけではないだろうが(記録上、ときどき女性の落語家がいたというのを見ることはあるのだが誰も大成していない)でも、演者が男性しかいないのだから「男が演じるもの」としての工夫が積み重ねられたのが落語である。だから女性が演じるとなると、いろいろ変えていかなければならない。

 

講談師は「教師」に近い

講談も、同じく男性が語るように伝わってきているとおもうが、演じ分けにさほど重きをおかれない一席も多く、だから「肚のくくりよう」ひとつできちんと客に届けることができるのだろう。

徳川と武田の戦いについて、実際に戦場そばで私はそれを見てきたのだとおもい込むことができれば(そういうふうに肚をくくれば)、性差はあまり関係ない、ということである。

学校の先生が女性でも男性でも変わらないのと同じである。

教師もまた、喋ることが職業であるが、喋る内容と性差はほぼ関係ない。

男性教師が教えようが、女性教師が教えようが、日本の歴史は変わらないし、数学の公式も同じである。

講談師は、つまり教師に近いということだろう。性差はあまり問題にされない。

落語家は、そういう意味では、俳優に近い。性差が商品化とつながっている。

そういう差がある。

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