「教会」という形式にとらわれない無教会主義では、信徒は一般の集会場で聖書を学ぶ集会を開く。日本女子大の学生だった克子は、そんな集会の場で若井と出会った。信仰面での2人の共通の恩師は、神学博士で伝道者としても名高い高橋三郎だった。2人は一緒に会報の発送作業を手伝うなどして距離を縮めていく。が、このときは交際が深まることはなかった。
2人が再会するのは、克子が大学を卒業し教員となった後だった。当時克子は、恩師・高橋の勧めで、三重県の愛農高校(キリスト教系の全寮制農業高校)に勤務していた。
当初、徳島県で職を得ていた克子を三重県まで引っ張ってきた高橋は、年頃となった彼女に何度も見合いの話を持ち込んだのだが、克子はどの男性にも惹かれるものを感じなかった。うんざりした克子は、ある時高橋にこう言った。
「私、若井さんとなら結婚したいです」
若井の気取らない態度に好感を持ってはいたが、特に深い交際があったわけではない。しかし、若井を思う気持ちは無意識のうちに尊敬と愛慕に変わっていた。その気持ちが言葉になって口をついて出たのだった。

克子は若井を愛農高校で行われる聖書講習会に誘うため手紙を書いた。若井は医師国家試験の口頭試問を目前に控えていたが、その誘いを断らなかった。
ところが3日にわたって行われた講習の間、若井と克子は一言も言葉をかわさなかった。結局、結婚の話は、最終日に高橋が伝えた。若井は講習会の感想文に「神よ、わが心は定まりました」という聖書の一節を引用して帰京していった。若井も克子に惹かれていたのだ。
それから数ヵ月後の72年6月、東京・目黒にある内村鑑三ゆかりの聖書講堂・今井館で2人は婚約式を挙げた。それぞれの仕事の都合のため、結婚はその2年後に持ち越されるが、こうして2人は結ばれた。その後80年までに男2人、女2人の子宝に恵まれ、忙しくも賑やかな結婚生活が始まった。
<『G2』(講談社、2013年)より>