源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか?

歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第3話
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。第3回目となる今回は、声優の木村昴さんが以仁王(もちひとおう)役で出演して話題となった昨日放送の第3話「挙兵は慎重に​について、最新の学説を参照しつつ、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。

第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか
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『鎌倉殿の13人』の第3話では、本作の主人公である北条義時が周到な分析によって挙兵成功の見通しを語り、源頼朝が決断する場面が活写された。当時18歳の義時が参謀的な役割を果たしたという設定にはいささか疑問も残るが、様々な情報が錯綜し頼朝や北条一族が迷い悩む展開には引き付けられた。歴史学の観点から、第3話のポイントを解説する。

 

以仁王挙兵の動機

伊豆で平穏な家族生活を送っていた源頼朝だったが、以仁王・源頼政の挙兵によって状況は激変する。以仁王は後白河法皇の第三皇子である。『平家物語』や『吾妻鏡』は、源頼政が以仁王に平家打倒を強く勧めたと記すが、これは後世の「源平対立史観」に基づくもので、事実とはみなしがたい。すなわち、源頼朝が平家を滅ぼしたという結果から逆算して、源氏と平家の宿命的なライバル関係を強調したのである。

拙著『陰謀の日本中世史』(角川新書)でも述べたように、源頼政は当時77歳の高齢で、しかも平清盛の推薦によって従三位に叙せられ、満ち足りた晩年を過ごしていた。平家に大きな不満を持っていたとは思えない。

以仁王関係系図(編集部作成)

現在の歴史学界では、挙兵の動機は頼政ではなく、以仁王にこそあったと考えられている。以仁王は異母兄の二条天皇が即位したため幼くして仏門に入り、天台座主最雲(さいうん)の弟子となったが、最雲が亡くなったため出家の機会を失い、永万元年(1165)に元服した。このため、一応は皇位継承資格者であった。

しかし、10歳年少の異母弟である高倉が即位、さらに高倉の皇子として安徳、次いで守貞(もりさだ)親王が誕生すると、以仁王が即位できる芽はほぼなくなった。平清盛の外孫にあたる安徳の即位は、以仁王に止めを刺すものであった。

また治承三年の政変(平清盛による後白河法皇の幽閉)において、以仁王は最雲から譲られていた所領を清盛に没収されており、清盛に恨みを抱いていた。以仁王はじり貧の情勢を打開すべく、源頼政を誘ってクーデターを起こすという思い切った行動に出たのである。

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