「外国人記者の視点」を通して気づく、日本の特異性
世界の視線がいっせいに日本に注がれた2021年の東京オリンピック・パラリンピッ
ク期間中、米紙「ニューヨーク・タイムズ」は日本人選手たちのある言動に着目し、こんな疑問を投げかけた。
「銀メダルを獲ったのに、なぜ日本の選手たちは謝るのか」
競技後の選手が「すみません」と頭を下げることは、多くの日本人にとっては見慣れた光景であり、特に違和感を覚えないかもしれない。準優勝も立派な結果だから胸を張ればいいのだが、申し訳ないという気持ちを抱く選手たちの胸中も理解できるだろう。だが、海外メディアの記者たちの目には奇妙に映るようだ。
ここで少し考えてみてほしい。先ほどの疑問をもし外国人からぶつけられたら、皆さんはどう説明するだろうか。記事では選手たちの行為はこう説明される。
「世界で2番になったのに謝罪するというのは、成功の基準が驚くほど厳しいことを示している。だが自国で戦っている選手たちは、後悔の気持ちを表すことで無念、感謝、責任、謙遜が複雑に混ざり合った感情を表現することができるのだ」
この説明には納得する人も、また別の意見を持つ人もいるかもしれない。さらに記者は、こうした謝罪は日本人に深く染みついたものだと意見を展開する。
人の家に入るときも、まとまった休みを取るときも日本人は「すみません」と謝罪する。電車では1分の遅れですら、車掌がお詫びのアナウンスをする。記者は「こうした謝罪は責任の表明というより慣習の問題なのだ」と考察している。

この記事を掲載したニューヨーク・タイムズは世界的に大きな影響力をもち、よく似た切り口の記事が他国のメディアに後追いで掲載されることも多い。日本をよく知らない外国人たちは、こうした記事から日本社会や日本人の考え方を認識するのだ。
クーリエ・ジャポンは2005年に創刊したとき、「世界は『いまの日本』をどう見て、どう伝えているのか」を編集方針の一つに掲げ、海外メディアの日本に関する報道を掲載しつづけてきた。刊行形態がウェブメディアに変わったいまも、その姿勢は変わっていない。