北京冬季五輪が4日に開幕した。実は2008年に北京五輪に出場後、一度引退して会社員となりながらも現役復帰し、2021年の東京五輪まで日本代表として出場したアスリートがいる。それが飛込み界のレジェンド・寺内健選手(ミキハウス所属)だ。

寺内選手を小学5年生のときに飛込み競技にスカウトし、ずっと伴奏してきた馬淵崇英コーチの娘であり、寺内選手と同じJSS宝塚で練習もつとめていた馬淵優佳さん連載「スポーツが教えてくれたこと」。今回は寺内選手に優佳さんがアスリート人生を伺っている。前編では小5で飛込みにはいってすぐに体験した中国での壮絶なトレーニングから五輪に出場するまでをお伝えした。後編では、一度引退して現役復帰をした寺内選手を仲間として支えてきた選手たちのことを中心にお届けする。

2022年2月12日に3mシンクロ飛板飛込みに出場。今年ブタペストで行われる世界水泳の代表がかかっている
 

寺内選手を支え続けた「もう一人の選手」

インタビュー前編では、飛込競技との出会い、オリンピック初出場までにあったコーチやご両親の覚悟についてお伝えしたが、実はもう一人、寺内選手を支えた人がいる。後編では、そのある人物と現役引退からもう一度復帰し、東京オリンピック出場に至るまでの道のりについてお伝えする。

寺内選手は決して一人で練習をしていたわけではない。弟・寺内佑さんと1つ上の先輩・松村雄介さんと練習を共にしてきた。松村さんは、国内で優秀な成績をおさめても、オリンピックには出場できずにいた。しかし寺内選手にとっては大きな存在だった。

「僕が中学2年で、彼が中学3年の時、コーチからこう言われたそうなんです。『おまえは正直言うと、オリンピックは厳しい。けれども、おまえがいなかったら健はオリンピックまで多分いけない』。ひとりだと僕が逃げちゃうから、『厳しい練習は大変かもしれんけど、おまえのいけるところまではいかせる。その代わり健をサポートしてやってくれないか』って。雄介はそれで『うん』って言った人なんですよ。でも僕はこれを聞かされたのはつい最近で、まったく知らなかった……。

それなのにずっと、僕に何か文句を言う訳でもなく、一緒に練習していました。彼の存在はすごく大きいですね。後にそういう話を聞いて、僕の練習以上に彼はもっと苦しい想いをしていたのかという申し訳なさを感じるとともに心から感謝しました。松村雄介という選手は、僕が競技を進めてきた上で重要なキーパーソンですね」

松村さんは大学卒業まで競技を続け、引退後は就職して社会人となった。一緒に練習することはなくなったが、松村さんが支えてくれた時間を無駄にしたくないという想いが、寺内選手の大きなモチベーションとなったのだ。

写真下の中央が寺内健さん、右にいるのが弟の佑さん、そして健さんの左隣にいるのが、寺内さんが支えられてきたと語る松村雄介さんだ 写真提供/馬淵崇英