文芸の単行本としては初の小説『スモールワールズ』(講談社)で、さまざまな賞の候補となり一躍注目を集めた一穂ミチさん。

「作家の顔」を隠しつづけ、15年になる。

母親に「自分が作家であること」を初めて明かしたのも、2021年に直木賞候補に選ばれた時だったそうだ。お母さまは、さぞかし驚かれたことだろう。
兼業で作家をつづけデビュー15周年を迎える今年、「2022年本屋大賞」にノミネートされた。しかしこのおめでたい出来事の裏で、大事件が……。「顔出しNG」の作家の日常を揺るがした事件とは!? 一穂さんご自身によるエッセイをお届けする。

一穂ミチ
2007年、「雪よ林檎の香のごとく」(新書館)でデビュー。『イエスかノーか半分か』(新書館)など著作多数。2021年『スモールワールズ』(講談社)が、2022年本屋大賞候補、第165回直木賞候補、第12回山田風太郎賞候補、第43回吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『パラソルでパラシュート』(講談社)、『砂嵐に星屑』(幻冬舎)がある。
 

「ハレとバレ」 一穂ミチ

「僕、見つけちゃいました」

同僚にそう話しかけられた時、「あ、とうとうバレたな」と思った。

小説を書く傍ら、会社勤めをしている。張り切って二足の草鞋で闊歩しているわけではなく、なりゆきに任せた結果そうなっていた。勤め先の何人かには「小説を書いていて、一応本屋さんにも並べてもらっている」と説明していたものの、ペンネームなどは伏せたままだった。

なのに、見つかっちゃったらしい。同僚はためらい気味で、どこか困ったような笑みを浮かべている。何でバレたんだろう? 尋ねてみたところ「梅田の……」と、とある書店さんの名前を告げられ、はっとした。去年、新刊が出たタイミングでご挨拶に伺ったお店だ。書店回りの折にはたいていサイン本やサイン色紙を書き、お店に飾っていただく。それだけでも貴重な機会なのに、梅田の某書店さんは「店内アナウンスをしませんか?」と提案してくださったのだった。

「一穂さんは顔出しをしていないということなので、PRコメントを録音してお店で放送しましょう」

わあ、いいんですか、と喜んで下手くそなコメントを録り、実際に使っていただいた。ほかの作家さんの流暢なPRに紛れ込み、数十分に一回、滑舌の悪い宣伝が流れる。その、三十秒足らずの短い音声で同僚は「あれ?」と思ったのだという。あの人の声に似ている……。そして店員さんに問い合わせ、店内のサイン色紙の筆跡をじっくり検分して確信を深め、冒頭の発言に至った。探偵ですやん。

まさかこんなところから足がつくなんて、とミステリーの犯人さながらの気分を味わっていると、名探偵こと同僚氏は「すごいですね、本屋大賞ノミネートなんて」と言ってくれた。面映ゆくて「はは、まあ、何か、ねえ……」と締まらない返事しかできなかった。

まいったなあ、と思う反面、嬉しかった。だって、にぎやかな商業施設でわたしの声を耳に留めてくれたのだから。思いがけない人に、思いがけないかたちで届くものが確かにある。

録音した自分の声を聞いて「思ってたのと違う!」と驚いた経験がある人は多いと思う。肉体の内部から骨を通して響くので、聞こえ方が違ってくるのだそうだ。わたしも例に漏れずで、実際にアナウンスを聞いた時には「ええ、こんな変な声なん?」と何やらいたたまれなかった。

声と同じく、わたしの内側から生まれる物語を、外側の眼差しで読むことはできない。もちろん、なるべく客観的にと心がけて原稿をチェックするけれど、純粋な読者になるのは不可能だ。自分の書いた小説が、どのようにひとりひとりの読者に伝わり響いているのか、さっぱりわからない。「あのう……」とおそるおそる上げたか細い声に、書店員さんの後押しというこだまが返ってきて、晴れやかな舞台の片隅に並べていただくことができた。

波瀾万丈とは縁遠い地味な人生ながら、たくさんの「想定外」を味わってきた。いいことも悪いことも、自分のちっぽけな頭、ちっぽけな世界をはみ出して起こり、そのたびわたしの世界はすこしずつ広がって物語の土壌を肥やしたように思う。ほんの一年前には想像もしていなかった「今」に立ち、これからもちいさな声を上げよう、と思う。この世のどこかにいるかもしれない人々のささやかな人生とそれにまつわる喜怒哀楽について。届くことも届かないこともおっかない、けれどこれがわたしの人生だと思い定めて。そして自分も、誰かのちいさな声を聞き逃さないように。

さて、同僚氏はこの文章に気づくだろうか。気づいたら、何と声をかけてくれるだろうか。けさのわたしは、きっとわくわくしながら新聞をめくり、耳を澄ましている。

(2月5日、6日「毎日新聞」「読売新聞」エッセイより)

スモールワールズ
ままならない現実を抱えながら生きる人たちの6つの物語。
夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。