アルツハイマーを発症した元・東大教授が、言葉を失いつつも講演を続けた理由

夫婦が直面した差別と受容
若井 克子 プロフィール

講演活動を終えた理由

こうして私たちは、各地で実に23回も話をすることになりました。

遠出するにあたっては、いろいろな工夫をしたものです。見知らぬ土地では、晋が十分に休息をとれなくなっていました。そこで日帰りのスケジュールを立てるようになりました。

言葉が出ない本人の代わりに、許可を得てDIPEx-Japanのインタビュー映像を使うこともありました。

話す代わりに歌うようにもなりました。きっかけは、ある講演の事前打ち合わせで私が、

「主人は最近、よくアメイジング・グレイスを歌うのよ」

と何気なく司会者に話したことでした。すると、

「それでは今日、その歌を披露してください」

ということになったのです。その日の講演ではまず、インタビュー映像が流され、続いて私が経過報告をし、司会者との対談が行われました。

そして終盤、会場に晋の「アメイジング・グレイス」が響き渡ります。晋はよく通るテノールで、まるで歌手のように堂々と歌い切りました。

こんなふうに、本人の言葉数が少ないなら少ないなりに、講演を続ける方法はあったのですが、私たちは2013年を最後にやめることにしました。

2012年 散歩(写真提供:若井克子)

いえ、正確には、依頼があっても私が取り次がなくなったのです。尋ねれば、彼は「行くよ」と元気な声で言うに決まっていましたから。

いちばんの理由は、前に書いたお手洗いの問題でした。用足しのため講演を中座したのは一度きりでしたが、大勢の前で「失敗」する可能性は否定できません。それだけは、忍びないものがあります。

また、自宅で収録したDIPEx-Japanのインタビューが、すでにインターネット上で公開されていました。会場に足を運ばずとも、晋の言葉に触れられる環境ができたわけです。

 

晋と私が講演でなし得たのは、上手に話ができないことも含め、ただ「ありのまま」を見てもらうことだけでした。ですが、それだけで「励まされた」と言ってくださる方がいて、その言葉で私たちもまた、励まされたのでした。

アルツハイマー病になっても終わりではないし、ひとりではなかったのです。

医師で大学教授でもあった晋が認知症を公表し、「恐れることはない」というメッセージを残し得たこと、そのことには、ただただ感謝の念しかありません。多くの人に背中を押され、支えられてやりきれたのだと思っています。

最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!

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