2022.03.01
# 就活

就活の悪しき慣習「学歴フィルター」が、ここまで広まった背景事情

実は大正時代から存在していた!?
難波 功士 プロフィール

「指定校制」というスクリーニング

しかし、学校名によるふるい分けは、昨日今日始まったことではありません。明治・大正の頃には出身校によって初任給すら違って当たり前――帝国大学や商大(一橋)、慶応・早稲田は75円、他の私大や高等商業学校は65円など――でしたが、戦後で言えば、たとえば1962(昭和37)年5月28日付「朝日新聞(東京版・夕刊)」の記事「大学のレッテルがすべてか」には次のような学生の声が残されています。

就職のための会社まわりをして、ある会社で「お宅はうちの指定校にはいっておりませんので」と門前払いを食わされた。たまたま一緒になった有名校のA大生は応接室へ。

…あっさり頭を下げて退散したものの、お腹の中は失恋したほうがまだましなほどさびしい思いで一杯でした。帰りのエレベーターの中で「おめえんとこの製品は金輪際買ってやらねえぞ」と、じだんだ踏んでわめいてやりたい気持ちでした(中央大学商学部)

各企業はそれぞれ「指定校」として偏差値が高い大学をピックアップしており、中央大学ですら当時はそこに含まれていなかったということでしょう。

また学歴フィルターだけでなく、中央大学だと法学部でないと、といった「学部フィルター」もありました。同様に早稲田は政経学部、慶応ならば経済学部が特別扱いであるとの他学部生の恨みも、当時の記事には散見されます。特定の大学の特定の学部にだけ、求人票が送られて当たり前の時代でした。

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その後、高度経済成長による学生優位の「売り手市場」の時期に、指定校制は徐々に姿を消していきます。

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