元家出志願者が目の当たりにした「現代の家出問題」

先日、NHK『あさイチ』で、家出特集の回にゲストとしてお呼ばれした。親でも子でもない私がなんで? とも思ったが、私は数々の家出に試みた、かつての家出志願者として参加させてもらった

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私の家出チャレンジは、ほとんどが未遂に終わっている。成功したのは、夏休みの深夜、家族が寝静まった2時頃、町にできた待望のコンビニに自転車で行って帰ってきたことぐらいだ。

万引きするでもなく、タバコのひとつも買うでもなく、セイコーマートを出た。たったそれだけのことなのに、あのときのドキドキ、猛スピードの自転車で切った風の感じ、等間隔に並ぶ街灯の光の筋、しっかりと覚えている。

帰宅してから、ひとつステップアップした気になって、満足気に静かに布団に入った。わざわざ付けていったお気に入りのカラフルなヘアゴムをほどいて。 

親に心配と迷惑をかけることこそ、家出の本質だと思っていたのだが、私は一度も親に見つかったことがない。「なかなか学校から帰らない」という家出チャレンジでは、雪山の影に身を隠し、捜索する母親の車の脇をすり抜けた。

「連れ出してくれるいかがわしい大人をみつける」というチャレンジでは、田舎すぎてテレクラのチラシを見つけることができず不発。「ただ静かに隠れる」というチャレンジが一番の得意技だが、そのことを知る者は誰もいない。なぜなら、即身仏になるかの如く、微動だにせず土管に鎮座するだけ、お腹がすいたら即帰宅するからだ。

これらの試みは私にとって、もはや『家出』だった。誰もそうは思っていなかっただろうが、ちまちました家出を知られるのは、とても恥ずかしいことだ。即身仏家出について、人に話したのさえ初めてである。どうせ知られるならドカンと、親が度肝抜くほどの家出じゃないと恥ずかしい。そんな気持ちがどこかにあった。

もちろん、家出をする事情はたくさんある。特に心配なのは、居場所がなかったり、虐待されていたりするケースだ。私の場合は両親共に忙しく、私に関心がないように思えて寂しく感じていたが、私は決して虐待されてはいなかった。それでも、なんてこの世は苦しみに満ちあふれているんだ! と出家という名の家出をしたブッダに自分を重ねるほど、悲劇の当事者だと感じていた。

写真提供/バービー