2022.02.26

岸田首相はなぜメダリストへの電話をかけないのか? 「順位をつけない運動会」と「新しい資本主義」の深い関係

小倉 健一 プロフィール

「手つなぎゴール」に噛みついた文部大臣

当時のそんな「手つなぎゴール」をよしとする風潮に猛然と反発していたのが、かつての文部科学大臣・町村信孝氏だ。共産党の議員が、教育現場に「目に見える形での競争原理」を導入するのをやめろという主張をしたことに対して、こんなことを述べている。

「いたずらに競争をあおることは、それはよくないかもしれません。しかし、よく漫画的に言われているように、運動会で、徒競走でゴール前三メートルでみんな手をつないで一斉にゴールインする。なぜか。子供に一等賞で喜びを与えてもいけないし、六番目になって負けたという屈辱感を与えてもいけない、みんな等しい方がいいんだという、まさに結果の平等までを求めた、僕は最悪の学校における行動だと思うのですよ。そういう目で見ていくと、そういう結果の平等までを追い求めることが余りにも学校現場で多過ぎるんです」

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「いろいろな意味で、もっといい意味の競争というものが学校現場に取り入れられなければ公教育はますますだめになっていきます。結果として、みんな私立へ私立へと足を運び、塾が繁栄する、そういうことになる」

「(質問者である共産党議員は)どうも競争原理は一切学校の中にあってはならないというようなことを前提にお話しされたので、それでは学校はますます悪くなるのではないか」
(引用はすべて第151回国会「文部科学委員会」第5号・2001年3月9日)

こんな町村氏の怒りを岸田首相はどう受け止めるのだろうか。五輪選手に金メダルの喜びを与えてはいけないのか。負けた選手が悔しさをバネにすることはないのか。

官邸周辺は、岸田首相は「参加した選手全員をたたえる五輪精神に則った」と主張するが、IOCがそんな「立派な精神」を掲げるのであれば、なぜ五輪では、競技で選手に順位をつけ、表彰台をつくり、金メダリストの国旗を掲げ、国歌を流すのか。それらの行為は五輪精神に則ってないのであろうか。

岸田首相は、いま「新しい資本主義」を掲げている。これまでのところ、選挙前、総裁選前に言い出した政策はすべて引っ込めてしまったため、国民には中身が一切わからず、具体的な政策は何一つ明らかにされていない。

この金メダル軽視の態度を見るにつけ、ますます、不安になることがある。「新しい資本主義」とは「古い社会主義」の再来なのではないのか、と。

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