2022.03.01
# ウクライナ

「ウクライナは核を放棄したからロシアに侵攻された」という議論が見逃していること

ウクライナ「非核化」の現実
秋山 信将 プロフィール

このように、自前での核兵器の維持が技術的に困難であったことに経済危機が拍車をかけ、ウクライナは、自国に残置されたICBMの保有は断念し、ロシア及び米国との交渉の主眼を、経済協力、非核化支援、安全の保証(security assurance)の条件闘争へと切り替えたのである。

そしてこれは、ウクライナがロシアと組まず、西側諸国との関係を通じて政治的、経済的に安定することを望む米国にとっても、そしてウクライナ自身にとっても好ましいことであった。

実際にこうした交渉は、1994年の「ブダペスト覚書」(ウクライナの非核化と引き換えに同国の独立や領土の保全、安全の保証を約した、米露英ウ間の覚書)と、米国とのCTRプログラムにつながっていく。

付言すれば、ウクライナにあったICBMが、万が一運用可能であったと仮定した場合、その射程は1万kmであり、サイロから2000kmほどしか離れていないモスクワを狙うには、方法が全くないとは言わないにせよ効果的な兵器とは言えない。逆に、射程1万kmというのは、米国にとって脅威となる核戦力であろう。であれば、核を保有したウクライナに経済支援するインセンティブはあっただろうか。

 

政治空間で作られたナラティブ

ウクライナは「かつて世界第3位の核保有国だった」といわれることがあるが、その表現は厳密にいえば正しくない。なぜなら、上記で説明したようにウクライナは、政治的に核保有を主張はしたけれども、実際には核兵器を保管し運用する能力がなく、真の意味で「保有(あるいはコントロール)」をしていなかったからだ。

「世界第3位の核保有国」だったウクライナが「ブダペスト覚書」という薄っぺらな紙切れと引き換えに大切な核を放棄させられた、というナラティブ(物語)は政治的空間で作られたものに過ぎない。

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