健康や人間らしさに影響する「神経修飾物質」――認知低下や運動障害とも関連?

脳における情報伝達の主役はニューロンですが、ニューロンが存在する「場」と「空間」もニューロンの働きに欠かせないものです。脳のニューロンが占める以外の場と空間を、細胞外スペースと言います。

これまで細胞外スペースは、脳の緩衝材としての役割としてしかみなされていませんでしたが、さまざまな伝達物質の通り道として活用されていることが明らかになってきました。そして、この通り道とそこを通る物質が、私たちの健康や人間らしさに大きく影響していることもわかってきています。

細胞外スペースにはどんな物質が通り、どんな役割を担っているのか、そしてそれらのバランスが崩れると、どんな影響や疾患が起こりうるのかを見ていきたいと思います。

ニューロンが活躍する「空間」と「場」

演劇や音楽のライブを思い浮かべてみましょう。あるいはスポーツの試合でも良いでしょう。劇場やライブハウス、競技場などの会場——これが「空間」です。一方、「場」とは、その空間で繰り広げられるパフォーマンスによる場内全体の雰囲気、裏方やスタッフも含めた環境のことを指します。パフォーマーが空間に応じて最適なパフォーマンスを発揮するためには、適切な「場」を提供することが重要だと言えましょう。

生体組織の中の「場」は、細胞や、それを取り巻く周辺も含めた環境、いわゆる微小環境とも言い換えられます。ニューロンは、脳という「空間」の中に存在し、自分自身以外の要素が織りなす、時々刻々と変化する微小環境(場)の中で活動しています。

【写真】脳組織の切片脳組織の切片にみるニューロン(青い菱形の細胞)。それを取り巻く環境とは? photo by gettyimages

ニューロンは脳の情報処理の主役で、情報を統合し、活動電位を発生し、次のニューロンに情報を伝達すること——その単純明快な役割は、どのような「場」であってもブレることなく、じつに堅牢です。

進化的にニューロンの役割は強く保存されているので、線虫、ショウジョウバエ、マウス、サル、ヒト......と生物種が異なっても、共通したニューロンの基礎原理を見つけることができるのです。つまり、ニューロンのはたらきそのものは、生物によって大きな変化はありません。

それなのに私たち人間は、他の動物とは異なる知性を持ち、さまざまな感情を持っています。他の動物も知性や感情を持っているのかもしれませんが、その性質は明らかに違うように感じます。

そう考えると、こうした「人間らしさ」を生み出しているのは、ニューロンの役割そのものではなく、それを受け容れる「空間」と「場」なのではないでしょうか。空間と場の変化、進化こそが、知性の謎を解き明かす鍵であるのかもしれません。脳の中にも、さまざまな「場」を創り出す舞台があります。脳の中にある空間、細胞外スペースです。

細胞外スペースとは何か?

体組織の間質と同様、脳の細胞外スペースも存在は古くから知られていましたが、脳を衝撃から守る緩衝材としての役割以外には、そのはたらきは長らく見逃されてきました。脳を顕微鏡で観察しても、まったくスペースがないか、あったとしても10〜20nm程度と非常に狭いだろうという結果しか得られていませんでした。

また、頭蓋骨に穴を開け、電極を刺すなど、脳を観察する際の処理によって脳浮腫が起こるため、細胞内部に水が入り込み、細胞自身の体積が膨らんでしまうことで細胞外スペースが小さくなるという技術的な問題もあり、細胞外スペースの真の姿を描き出すことは困難を極めました。

脳組織の切片を電子顕微鏡で観察してみると、ほぼすきまなくびっしりと細胞が並んでいる様子が見られます。電子顕微鏡で観測するためには、組織の水を取り除く処理が必要なので、その過程で細胞外スペースは失われてしまいます。つまり、生きているときの脳組織の姿をそのまま観測できているとは限りません。

ですが、2017年にノーベル化学賞の対象となった低温電子顕微鏡法(クライオ電子顕微鏡法)を用いることで、水の成分を保ったまま観測することが可能となり、脳の組織に存在している細胞外スペースも観察できるようになってきました。最新の研究では、成人の脳の細胞外スペースの体積は15〜30%で、体組織の間質と同様に平均すると20%程度と見積もられています。

【写真】クライオ電子顕微鏡で観察した脳組織クライオ電子顕微鏡で観察した脳組織の脳切片画像。白くて丸い構造が細胞で、細胞の中心には核がある。細胞間には大きなスペースがあることがわかってきた 『脳を司る「脳」』より〈Korogod et al., eLife 4(2015)より一部改変〉

5分の1も空洞があると思うと、案外脳はスカスカなのかもしれないと思えてきます。また、脳の細胞外スペースは、くまなく間質液と呼ばれる液体で満たされています。脳においても、細胞外スペースは、緩衝材としてのはたらきだけではなく、さまざまな化学物質の通り道として重要な役割を果たしていることがわかり始めています。

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