誰にも訪れる「死」。しかし、実際に人がどのようにして死んでいくのか知っている人は少ないのではないでしょうか。在宅診療医として数々の死を看取った作家の久坂部羊氏による新刊『人はどう死ぬのか』では、人がどのような死を迎えるのかがリアルに描かれています。その中から、延命治療がもたらす悲惨な実態をお届けします。
研修医と看取り
大学を卒業したあと、私は外科の研修医になり、指導医について医師として第一歩を踏み出しました。
そんな私が、はじめて患者さんの死を看取ったのは、研修も後半に入ってからでした。場所はアルバイトに行っていた当直先の病院です。
勤務していた大学病院では、あまり患者さんは亡くなりませんでした。それは大学病院が治癒の見込みのある患者さんにベッドを確保するため、死ぬとわかっている患者さんを積極的に受け入れないからです。
従って、研修医が患者さんを看取るのは、たいていアルバイト先の病院でということになります。どの研修医もそれまでは臨終に立ち会ったことなどないので、はじめて死を看取る経験をした者は、翌日、病棟に来てそのときのようすを興奮気味に語ったりします。
看取りを経験すると、何となく医者として箔がついたような気がして、経験していない研修医より精神的に優位に立つのです。看取りの場数を踏めば踏むほど、興奮も収まり、人の死に対して余裕を持った態度が取れるようになります。
そのころ、私は週に二回、当直のアルバイトに行っていましたが、幸か不幸か、なかなか患者さんの死に巡り会いませんでした。だから、何となく肩身の狭い思いで、看取り経験者たちの話を指をくわえるようにして聞いていました。
はじめての看取り
はじめて看取りをしたのは、臨時で頼まれて行った病院でした。特に申し送りもなかったので、気楽なつもりで当直室にいると、宵の口に電話がかかってきました。
「急変です」という看護師の声に私は緊張し、それでも先輩の教えや同僚の経験談をもとに、自分なりにシミュレーションをしつつ病室に向かいました。きちんと白衣のボタンを留め、看取りの"儀式"を思い浮かべつつ、集まっているであろう家族への対応に粗相がないよう気持ちを引き締めて、指示された病室をさがすと、そこは個室ではなく大部屋でした。
どの病院でも、患者さんが亡くなるときは、少し前から個室に移ってもらいます。大部屋でとなりに患者さんがいるところで、看取りをするのは好ましくないからです。

訝りながら、それでも深刻な面持ちで部屋に入ると、ベテランの看護師がベッドの横に控えていて、患者さんはすでに下顎呼吸になっていました。「ご家族は?」と聞くと、看護師が黙って首を振ります。示されたカルテを見ると、医療保険は生活保護でした。
患者さんの女性はがんの末期でしたが、まだ六十代半ばで、頰の赤いぽってりした顔の人でした。天然パーマらしい黒い髪の毛が、枕の左右に広がっていました。
「儀式は」と上目遣いに聞くと、看護師は「身寄りもないので」と小さく答えました。"儀式"は家族の納得のためにするものですから、必要ないのです。それでもじっと見守ることに耐えられず、私は患者さんの胸に聴診器を当てました。雑音の交じった弱々しい呼吸音が途切れ途切れに聞こえ、心音はすでに途絶えていました。
最後の息はほどなく来ました。わずかに吸った空気を、あきらめたように細く吐いて、すべての動きが止まりました。
「確認してください」
看護師に言われて、私は瞳孔の散大と呼吸停止、心停止を確認し、時間を告げました。
「あとはやっておきますから」
そう言われて、当直室にもどりました。はじめての看取りは、ほかの研修医たちから聞いていたのとはまるでちがう印象でした。家族もおらず、"儀式"もなく、臨終は告げましたが、それを聞く人も看護師以外にいない。身寄りもなく、たった一人で、見も知らない若造の医者に看取られたあの患者さんの一生とは、どんなものだったのか。あまりに淋しい人生の終わりではないのか。
いろいろな思いが浮かび、その夜は安眠できませんでした。