「死」を拒否する人が知らない、延命治療の悲惨な実態

安らかな死を迎えるために

悲惨な延命治療

その段階でも、私は治療をあきらめず、DICの治療はもちろん、人工呼吸、強心剤、人工透析に加え、輸血も開始しました。患者さんはずっと意識がなく、手足は浮腫で丸太のように膨れ、顔もむくんで手術前の面影を失い、まぶたはゴルフボールのように腫れ、高熱のため髪の毛や眉毛が抜けて、皮膚も黄疸で黄色から褐色、さらにはどす黒くなってきました。

出血傾向で、鼻血、吐血、眼球出血、下血が続き、特に胃や腸からの出血による下血は、輸血で入れた分がそのまま出るような状況で、コールタールのような血便がおむつからあふれ、病室には耐えがたい臭気が充満しました。

それでも強心剤と人工呼吸のせいで心臓は止まらず、身体は膨れ上がって生きたまま腐っていくような状態になりました。家族はその間、ずっと不安と絶望に打ちひしがれていたと思います。

手術から二週間あまり、私はずっと病院に泊まり込み、夜中も寝ずに治療を続けましたが、患者さんを救うことはできませんでした。最初は患者さんを死なせまいと、懸命にはじめた術後管理でしたが、途中から先輩の医師たちが徹底的な治療をしない意味を、徐々に理解しはじめていました。医療はやりすぎると恐ろしいことになる。それを身をもって体験したのです。

医療の進歩による弊害も

医療は、言い方は悪いですが、所詮は人間の営為です。神の所業ではありません。病気は自然の現象です。医療によって治る病気も増えましたが、すべての病気が治せるわけではありません。治る病気は治せばいいけれど、治らない病気を無理に治そうとすると、悲惨な状況になってしまいます。

これはひとえに医療の進歩が原因です。高度な医療がなかった時代は、死を受け入れざるを得ないので、人は比較的きれいに 死んでいました。医療が進んで、死を押しとどめる治療ができたおかげで、助かる人も増えた代わりに、助からない場合は悲惨な延命治療になってしまう。

私が悲惨な延命治療をしてしまったのは、その実態を知らなかったからです。副院長が人工透析を許可してくれたのも、若い私に医療の現実を経験させるためだったのだと思います。

死を押しとどめる医療が、いかに悲惨な状況を作り出すかということが、徐々に世間に伝えられるようになって、無駄な延命治療に対する否定的な印象が広がりました。