「死」を拒否する人が知らない、延命治療の悲惨な実態

安らかな死を迎えるために

延命治療はいらないと言う人へ

よく、「私は延命治療を拒否します」という人がいますが、それで悲惨な状況が避けられると思っていたら大まちがいです。医者ははじめから無駄な延命治療はしません。治療をするのは、わずかでも助かる見込みがあるからです。やるだけやった結果、助からない場合に、悲惨な延命治療になるのです。

仮に、あなたが高齢になって、脳梗塞や心筋梗塞の発作を起こしたとき、あるいは誤嚥性肺炎(食べたものが気管に入って起こる肺炎)でも同じですが、そのまま自宅にいれば亡くなる可能性が大だけれど、病院に行って治療すれば、わずかだけれど助かる見込みがあると言われたとき、病院に行かないという選択ができますか。

少しでも助かる見込みがあるなら、病院で治療してほしいと思うのではないでしょうか。それで助かればいいですが、助からない場合が、悲惨な延命治療になるのです。

当たり前の話ですが、自宅にいれば悲惨な延命治療を受ける心配はありません。だから、ぜったいに悲惨な延命治療を受けたくないと言うのであれば、助かる見込みがあっても病院に行かない覚悟が必要です。

逆に、助かる見込みがあるのなら、病院で治療を受けたいと言う人は、悲惨な延命治療になるリスクを受け入れる必要があります。助かる見込みがあれば治療を受けたいけれど、悲惨な延命治療はぜったいにイヤというのは、両立しないのです。

厳しいことを言うようですが、そこまで考えておかないと、延命治療は受けたくないと言っていたのに、結果的に悲惨な状況になってしまう可能性が低くありません。

悩ましい尊厳死の問題

好ましい状況を実現するには、尊厳死しかありません。悲惨な状況になりかけたら、治療を中止して死なせる。それが尊厳死です。

現在、日本では気管チューブを抜く等の尊厳死は合法化されていません。水面下では行われているようですが、法的には違法なので公にはできません。とは言え、患者さん本人と家族のためにすることですから、当然、許されてしかるべきだと思います。

しかし、実際に尊厳死をするとなると、家族も医療者も大変なストレスを感じます。いつ人工呼吸器をはずすか、いつ強心剤や中心静脈栄養をやめるのかを決めるのは、簡単なことではないからです。それによって一人の命が失われるわけですから、決断に迷うのは当然です。

日常で家族や自分の最期のことなど考えたこともないという人は、その場になってから慌て、戸惑い、うろたえることが多いです。そのときは専門家にお任せと思っていても、今はインフォームド・コンセントの時代ですから、患者さん側の意思を尊重するというのが医療者側のスタンスです。説明はしてくれますが、決めてはくれません。決定権は当事者に委ねられるのです。

尊厳死や治療の中止は、確実に本人のためになることですから、早まったり遅きに失したりしないためにも、ふだんから死に直面したときのことを、しっかりと考えておく必要があると思います。