第三の課題は、膨大なデータを整備・分析できる人材が育っていないという点だ。
クロスセクションデータと比べて、パネルデータはデータの整備が難しい。一学年の子どもの人数が1000人程度の自治体であっても、小学1年生から中学3年生までのデータを接続すると、9時点×1000で9000人分のデータになってしまう。これを人の手で確認するのは骨が折れる。実際の分析では「汚い」データも相手にするので、R11やPython12といった統計解析に使えるプログラミング言語が扱えた方がいい。
流行のデータサイエンティストを雇えば良いと思うかもしれないが、データの扱いに長けるだけでは不十分で、教育に関する知識も必要だ。一般に調査データには現実との乖離(≒誤差)が含まれている。そのため、教育現場の実情やデータが生み出される過程を知り、どのような誤差が生じうるか把握していないと、数字をもてあそぶだけで、誤った判断をする可能性もある13。
つまり、必要なのは教育学と統計学の両方に通じた人間なのだ。ところが現在の日本では、教育関係者がデータ解析を学ぶ機会がほとんど用意されていない。あまりにも学校現場偏重の改革が続いたために、データ解析のように学校現場で直接「役立たない」技術を学ぶ機会が削られてしまったのである。教員養成課程で学ぶべき内容を示した教職課程コアカリキュラムは、こうした弊害を示す典型的な例である14。
第四に、学力調査の設計・実施を統括する役割を果たすはずの教育行政の働き方にも課題がある。日本の行政では、数年単位で部署を異動する働き方が主流である。そのため、パネルデータのような長期にわたるデータの解析に必要な専門性を磨いたり、調査経験を蓄積したりすることが難しいのだ。筆者は、この専門性と調査経験の蓄積の欠如が、全国学力テストが失敗した要因の一つだとみている15。
教育改革やりっ放しを抜け出すために
教育社会学者の松岡亮二氏は、戦後日本の教育改革を総括し、「改革のやりっ放し」と批判している16。今回の記事で取り上げたように、変化も見ずに「朝ご飯が重要」と語っているようでは、そうした批判も甘んじて受け入れるしかないだろう。
また、「○○すれば学力が上がる」と主張する教育政策・実践は少なくないが、その中に学力調査による裏付けがあるものがどのくらいあるだろうか17。