たしかに橋本治が論じるような昭和の少女漫画は、今の少女漫画にも通じる「女性として成長する少女の揺らぎ」を描く。そしてヒロインの少女たちの前に現れるのは、多くの場合、「白馬の王子様」幻想を全身に背負い込んだ完璧な男性たちだ。

たとえば宗方コーチ(『エースをねらえ!』)やミロノフ先生(『アラベスク』)のような「父」の面影をもつ男性から、少尉(『はいからさんが通る』)やアンソニー(『キャンディ キャンディ』※ハートマークは機種依存文字のため省略)のような「王子様」キャラまで。たとえ口が悪かろうと欠点があろうと、少女漫画のヒーローは、いつだって主人公を助けてくれる存在だった。

『エースをねらえ!』17巻

しかし橋本治が指摘した葛藤は、今見ると、ちょっと古いと感じる。「自分の性に対する戸惑い」なんて、本当に自分が持っていたか? と考えると、どうなんだろうと首を傾げてしまう。それに白馬の王子様に守られたい願望とか、とくにない。そんなふうに考える女の子たちが増えた結果が、平成の少女漫画だったのだろう。

だとすれば今振り返ってみれば、橋本治風に言うと、こう言えるんじゃないかと思う。少女漫画を通して、私たちは「男」ではなく「少年」と出会ってきたのではないだろうか

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平成と「弱い男の子」との出会い

平成が1989年に始まり、1991年(平成3年)から『美少女戦士セーラームーン』(以下、『セーラームーン』)は始まった。『セーラームーン』は、「世界をすくうのは、強くてかわいい女の子なんだ」と提示する。ただ強くてかわいくないわけじゃない、弱くてかわいいのでもない。おしゃれして恋をしてかわいくなって、そのうえでみんなを守るために戦うのが、女の子なんだ、と。

『美少女戦士セーラームーン 完全版』1巻

当時の時代背景をふまえると、『セーラームーン』が提示した「美少女戦士」という発想が斬新だったことが分かる。しかしそれ以上に、原作漫画を読むとあらためて驚くのがこれだ。

「タキシード仮面、弱っ!」

タキシード仮面は、セーラームーンよりも明確に「弱く」描かれている。おそらく作者が意図的に、従来の男子戦隊モノにおける「姫」のポジションをタキシード仮面に受け渡そうとしたのだろう。戦闘ヒーローの物語を、くるりと男女逆転させてみせたのが『セーラームーン』だった。

『美少女戦士セーラームーン 完全版』9巻

『セーラームーン』の影響は、もちろんその後「戦う美少女たち」として続いてゆく。『カードキャプターさくら』(平成8年~)、『神風怪盗ジャンヌ』(平成9年~)、『東京ミュウミュウ』(平成12年~)など、漫画を読みアニメを見る平成の小さな女の子は、皆まず「戦う女の子」を目にしてきたのではないだろうか。

同時に、『セーラームーン』から始まった平成の少女漫画には大きな転換点が訪れる。ヒーローが、「強い男」でなく「弱い少年」になってゆくのである。