「この社会の生きづらさ」が響いている

自分がもう中堅なのだと気がついたのは、3、4年前です。若いころのように新しいことを学びながら坂を登っていく感覚はなくなり、粛々と臨床を重ねていく毎日。
クライエントがやってきて、何かを語る。僕はよく聞いたうえで、思ったことを伝える。そういう日々が続いていく。すると、あるときふと、気がつく。自分の中に以前とは違う感覚がある。

「他人事じゃない」

話を聞いていて、そう感じている自分がいる。彼ら彼女らの語る苦しさに、僕の中にある苦しさと響きあうものを感じてしまう。

誤解しないでほしいのですが、それは魂の深い交流ができるようになったという自慢話ではありません。

そうではなくて、クライエントの抱えている苦悩に、この時代の、この社会の生きづらさが響いているのを感じるということです。まるで海鳴りのように、クライエントの語りから社会の摩擦音が聞こえてくる。それが僕の中にある摩擦音と共鳴する。

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僕がお会いしているクライエントはさまざまです。子どももいれば、大人もいるし、老人もいます。ジェンダーも、セクシャリティも、職業も、相談内容も千差万別。
だから、彼ら彼女らの話は、必ずしも直接的に自分と重なるわけではありません。僕にはうかがい知れないことや、一生経験しないどころか、想像することもできないようなことを、彼らは語ります。いや、むしろ、そういう話がほとんどです。

だけど、僕らには共有しているもの「も」ある。だって、同じ時代の、同じ社会で生きているのだから。

もちろん、その社会には深刻な分断があって、あらゆるところに濃い国境線が引かれています。ベランダで目が合いそうになった隣人が、永遠に赤の他人にとどまるように、僕らの社会はちりぢりに断片化している。

それでも、クライエントの物語に耳を澄ましていると、彼ら彼女らの苦悩の奥で、「みんな」の苦悩が響いているのが聞こえてきます。個人的な苦悩に、社会の苦悩が入り混じっている。