だれもが「孤独」

たとえば、息子夫婦との関係に悩む70代の資産家独身女性がいます。生前贈与を行い、財産を相続させたあと、息子の妻から付き合いを断られることが増えました。孫と会う機会は激減し、それを息子に訴えても、生返事しか返ってこない。

僕は彼女が苦悩していることを経験したことはないし、今後もしないかもしれない。
それでも、小さな面接室で話をしていて、灰色のソファに腰かけた彼女が「息子に裏切られたのかもしれません。そうなると、私はひとりです」と語るとき、緑の椅子に座る僕はふと思ってしまう。

これは彼女の苦悩でもあるけど、僕の苦悩でもあるのではないか。
いや、これは「みんなの苦悩」なのではないか。

Photo by iStock
-AD-

同じように、転職活動に失敗し続けている40代のサラリーマンが「もう自分は転職したくてもできない人材なのだとわかりました」と語り、「30代の過ごし方を間違えたんだと思う」と悔いる。学校に行けなくなった女子高生が「みんな、私なんかいない方がいいと思ってる」と言って、「自分が嫌いです」と泣く。あるいは、誰からも嫌われないように気を遣い続けてきたキャリアウーマンが、パートナーに対して「あなたの言葉に傷ついていた。本当は嫌だった」と勇気を振り絞って言う。

面接室で数限りなくそういう話を聞いている。すると、どうしても思ってしまう。

これは彼や彼女の苦悩でもあるけど、僕の苦悩でもあるのではないか。
そう、これは「みんなの苦悩」なのではないか。

彼らが語っているのは、家族の問題であり、キャリアの問題であり、自尊心の問題であり、パートナーシップの問題です。それぞれは別の問題だし、彼らは異なる状況で、異なることに苦しんでいます。
だけど、それらの奥深いところでは、同じ苦しさが響いている。

そう、彼らは「ひとり」になっています。

息子に裏切られたと気づくとき、30代の過ごし方を間違えたと悔いるとき、自分が嫌いになるとき、大切な人に嫌なことをされていると自覚するとき、彼らは寄る辺のない小舟です。目印のない海に、ひとりで放り出されている。
僕らは今、ひどく孤独になりやすい社会で生きている。