「シェアだけの関係」の難しさとは

――ナイショのつながりの難しさはコロナで加速したとは思いますが、コロナ以前から進んでいた印象はあります。

東畑 この本の中で「今は一人一人が小舟に乗って航海をしているような時代だ」と書きました。つまり、“自己責任を背負った個々人で成り立つ社会”です。そうすると、リスク管理が何より重要なテーマになってくるので、ナイショのつながりは避けられるようになります。家族や恋人になる、ってリスク以外の何物でもないですからね。若者が恋愛をしないというのがよく言われていましたが、そういう時代の空気があるのではないでしょうか。

撮影:FRaU編集部
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――すると、シェアのつながりだけでもいい気もするのですが、やはり良くないんでしょうか?

東畑 それでいいと思うんです。仲間とみんなでつながっている。小舟同士がそのときどきで寄り集まる。僕らはそうやって孤独を防ぎますし、苦しい時のサポートを得ることができます。基本的にはそう考えています。

ただし、シェアのつながりにははかなさもあるんですね。同窓会っていつしか開かれなくなりますし、ママ友も時期が変わるとシェアできるものが薄くなっていきます。小舟同士が寄り集まっているので、状況が変わると小舟同士は分かれて航海していくことになります。さみしいんですね。

リスクがあるにも関わらず、人がナイショのつながりを欲するのは、そういうときです。もっときちんとつながりたいと思う。一つの小舟に二人で乗り込むような親密さがほしいと思う。それで勇気を出して、他者のナイショに深入りしたり、自分のナイショをわかってもらおうとしたりするのでしょう。

――この本にはナイショをわかってもらおうとして傷つけあうカップルが描かれていました。

東畑 仕事では有能で、感情コントロールもパーフェクトな女性ですね。ただ、彼女はこと恋愛になると相手とどう向き合っていいか分からなくて混乱してしまいます。こういう方が少なからずおられると思うんです。様々な生い立ちもあって、他者を恐ろしいと感じている。だからこそ、他者に不快な思いをさせないように非常に洗練された人間関係を築いて生きてきた。しかし、そういう人がナイショのつながりを持とうとして、本音を表現するようになると、非常に混乱した部分があらわになるんですね。カウンセリングではそういう混乱した部分について話し合うことがなされます。

――本音が出せず、周囲にサービスばかりして生きていると、知らぬ間に心を酷使してしまって、ある日突然心がポキッと折れたりしてしまうような気がしました。どうなのでしょうか?

東畑 その前に身体が教えてくれるんじゃないかと思うんですね。眠れない、食べられないなど……。心って、本当は折れていても、自分では気づきにくいんですね。自分をごまかすのが心の特性です。だけど身体は正直です。それで倒れたり、動けなくなったりしてしまって、ようやく助けを求められるんだと思います。その結果として、「ああ、自分は普通じゃなかった、やりすぎていた」とあとから気づかされるんですね。この気づきこそが大事で、そういうときにはじめて “自分の心と向き合う”ことが始まるのだと思います。

――できれば倒れたりする前に気づきたいものです。でも自分の“普通じゃない部分”って、自分ではなかなか気づけないものですよね……。

東畑 まさにその通りで、第三者に指摘されて初めて気づけることってあります。だからこそ、「大丈夫?普通じゃないよ?」と言ってくれるような人間関係があることは大切だと思います。今の世の中、普通じゃないことって皆さんが思っている以上にあるもの。働きすぎは、その最たるものだと思います。

もちろん、働くことは悪いことではありません。ただ、“愛すること”の領域をなくしてまで働くのはやりすぎです。昨今は「ワークライフバランス」という言葉がよく言われていますが、その実は、「ワークを充実させるためのライフ充実」になっているのが難しいところと感じています。

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』著者:東畑開人/新潮社

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』
著者:東畑開人/新潮社
家族、キャリア、自尊心、パートナー、幸福……。心理士として15年、現代人の心の問題に向き合ってきた著者には、強く感じることがあります。それは、投げかけられる悩みは多様だけれど、その根っこに「わたしはひとり」という感覚があること――。夜の海をたよりない小舟で航海する。そんな人生の旅路をいくために、あなたの複雑な人生をスッパーンと分割し、見事に整理する「こころの補助線」を著者は差し出します。さあ、自分を理解し、他者とつながるために、誰も知らないカウンセリングジャーニーへ、ようこそ。