2022年3月27日、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が地上波にてNHKで放送される(27日夜10時50分~)。これはイギリスのロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公に描いた映画だ。2018年に公開されるや大ヒット。国内でも興行収入131億円を超え、歴代洋画ランキング9位を記録した。日本の地上波では、2021年6月4日の金曜ロードショーに続く2回目の放送だ。

Queenといえば話題になったのは、3月20日に2008年ウクライナにて開催されたQueen + Paul RodgersのライブをYouTubeにて公開したことだ。ウクライナへの募金活動にもつなげた動画となっている。

出典/youtube Queen + Paul Rodgers: Live In Ukraine 2008. YouTube Special. Raising funds for Ukraine Relief.

自他ともに認めるQueenのコアファンであるジャーナリスト・猪熊弘子氏はこう語る。
「フレディの死後、ボーカルにポール・ロジャースを加えてウクライナ第2の都市ハリコフの自由広場で行われたこのライブ。オープニングは『One Vision』。ロジャー・テイラーがマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの有名な演説の言葉をもとに作った曲なんです。ライブエイドの後、息を吹き返したクイーンの象徴みたいな曲だと思っています。

クイーンは、1981年に南米、1984年には南アフリカ、85年のライブエイドの後には、まだ当時東側だったハンガリーでもライブを行っています。政治的な立場ではなくあくまでもミュージシャンとして世界中の人々を魅惑したクイーン。戦争が起きている今だからこそ、余計に染みます」

さて、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の魅力の一つは、Queenの音楽がそのままたっぷり使われていることにもある。2018年当時、「子どもたちが『この人のライブに行きたい』というので、この人はもう死んでしまったんだよと言ったら、子どもが泣いてしまった」――Twitterでそんな内容のつぶやきが流れるほどに、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を通して「新しいクイーンファン」が増えたといえる。

フレディ・マーキュリーは今から31年前、1991年11月24日に天国へ旅立った。猪熊さんがフレディの魅力を改めて伝えた2018年11月24日公開の記事を再編成の上、改めてお届けする。

8年の歳月をかけて作り上げられた映画

イギリスのロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公に描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』を、これまで3度観た(ちなみにその後、2021年の今までに、映画館で17回、さらに購入したDVDや飛行機の中でも観ているので、トータル30回はゆうに超えている。2020年のQAL来日公演は、4回中3回行き、素晴らしいライブを楽しんだ)。

一度目は学生時代からのコアなクイーンファンの友人が応募して当選した公開直前のプレミア試写会で、二度目はやはり学生時代からさんざん一緒にコンサートに行った別のロックファンの友人がチケットを取っていた「爆音」上映会。そして三度目は当時中学2年生の双子の息子たちを連れてIMAXの大画面で……という具合だ。

50年以上生きているけれど、映画館で立て続けに3度も同じ映画を観たのは人生で初めてのことだ。しかも毎回泣いてしまった。驚いたのはフレディが亡くなってからずっと後に生まれた中2の息子たちも感動のあまり泣いていたことだ。

ブライアンとロジャーは8年もの歳月をかけて、よくぞここまでしっかりとクイーンの歩みとフレディの人生を映画という美しい芸術に仕立ててくれたと思う。70年代にテープがすり切れるほど重ね録りをしてアルバムを作ったのと同じ熱意をもって映画作りにのぞんだのではないか。

思えば中学1年のときに初めてクイーンの曲に出会い、高校時代から本格的にクイーンを聴き始め、1985年には念願の武道館ライブに行き、今も毎日のようにクイーンの曲を聴きながら生きている。そして、いつの間にか自分がフレディの年を追い越してしまったことに気づき、愕然とするのだ。

 

1991年11月24日の悲報

1991年11月24日、あれから27年もの月日が経ったとは思えないほど、今もあの日のことは鮮烈に覚えている。フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが飛び込んで来たのだ。まさにその前日にフレディ自身がAIDS(後天性免疫不全症候群)であることを告白したことが報じられたばかりだった。

当時、AIDSはまだ不治の病だった。その年の2月に発売された「イニュエンドゥ」のPVで、痩せて形相が変わってしまったフレディの様子を見て、これはただ事ではないとは思っていたけれど……。

当時は今のようにインターネットなどはなく、ニュースが世界中にネットで瞬間的に広まるような時代ではなかった。私は自宅で定時のテレビニュースでその知らせを聞いた。そのあとも、私がクイーンファンであることを知っている記者の友人たちも通信社の配信でフレディ死去の報を得て「フレディが…」と電話をくれた。

「フレディが死んでしまった」

涙がボロボロ流れ落ちた。たまたま小学生の頃からかわいがっていた愛猫が死んだのが翌日25日で、2つの悲しい別れが続いたことも忘れられない記憶だ。

フレディがなくなった翌日の新聞を、猪熊さんはかき集めた 写真提供/猪熊弘子

それから2週間ほど後、私は海外での取材でオーストリアに行った。帰りはロンドン経由だったので、私はオックスフォードストリートのレコード店HMVまで駆けつけて、フレディの追悼本を買いまくった。店内にはフレディの追悼コーナーができていた。

当時猪熊さんがかった追悼雑誌は今でもとってある 撮影/猪熊弘子