負担が大きい割に効果が小さい

生徒が粘り強く教師と交渉をつづけ、また教師も生徒の真剣な思いを一つひとつ受け止めながら、生徒の思いを尊重する決定をくだす。本当にすばらしい実践である。

ただ、私は、生徒や教師の負荷が気がかりだ。見直しに際してあまりにも生徒さらには教師の負担が大きく、その割には、タイツの色が一つ加わっただけといったように、その成果が小さすぎる。負担が大きい割に効果が小さい。コストパフォーマンスが悪すぎるのだ。

先に述べたとおり、校則の制定権をもつ校長が「明日から、色は何でもよい」といえば、コストはゼロで、同じパフォーマンスを得ることができる。ところが、生徒も教師も多大な時間を費やしたうえで、きわめて限定的な小さい自由が認められる。絶望的に不自由な世界のようにも見える。しかもそれが、「生徒主体の見直し」と美談化される。

※写真はイメージです〔PHOTO〕iStock
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長時間労働下での負荷

学校は、長時間労働の職場として知られている。
2016年度に文部科学省が公立の小中学校教員を対象に実施した教員勤務実態調査によると、平日における教師の平均の労働時間は、小学校が11時間15分、中学校が11時間32分に達する。休憩時間数は、小学校が3分、中学校が4分と、ほぼノンストップ労働だ。これらの数字は最大値ではなく、平均値であるところがおそろしい。
しかもここには、教師の働き方の特徴とされる、休日出勤や持ち帰り仕事の時間は含まれない。

このような状況において、上記のとおり半年から1年をかけて生徒や教師が奔走しながらようやく小さい自由が認められる。このような気の遠くなるような「見直し」のあり方が定石になってはいけない。