外見いじりは、もう時代に合わない

何度も言うが、彼女も私も、自分の持病や事情に同情したり気の毒がって、特別扱いしてほしいわけじゃない。接する人全員に自分の病状を説明して理解してもらおうとは思わないし、むしろ病気であることやコンプレックスを抱いていることを知られたくない人もいるだろう。

私たちの望みは見た目に関わらず、ごくごく普通に接してほしい、嫌ならスルーしてほしい、ただそれだけだ。

「病気だからこそ、心配しているのよ」と言われるかもしれないが、気軽に言葉を発する前に考えてほしい。その人の本当の病状や重い悩みを打ち明けられたとき、それをしっかり受け止める覚悟が自分にはあるのか、と。

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挨拶代わり、世間話のついでに見た目について触れられたり、笑いの種にイジられた当事者は「大丈夫」「元気元気!」「気にしないで」と心の中では痛みを感じながら、表面上は明るく流す以外ないのだ。だって正直に「傷ついた」「辛い」などといえば、そんなつもりじゃなかった、大げさ、場がしらける、盛り下がる、こっちは心配してあげたのに大人げないといわれるのは、わかりきっているのだから。

河野太郎氏が、彼のアトピーをディスるツイートに、ユーモアのある切り返しで答えたことを、アトピー持ちが絶賛・共感したのは、常日頃、心無い言葉に小さく傷つく私たちのうっ憤を、見事に晴らしてくれたことにつきるからだと思う。

河野太郎氏の返しを称賛するアトピー罹患者は多い。出典/公式Twitter(@konotarogomame)

「そんなことまでいちいち気にしてたら、気軽に話すこともできない」という人もいるだろう。でも病気を公言しているのと、それを気軽にイジってもいいと許可しているかは全然別の話だ。本当に見た目以外、話すことがないのなら、話さなくてもいいのでは? あえて相手の見た目で会話をつないで『お互いによいコミュニケーションが取れている』と勘違いしているのはその人だけで、相手は笑顔の下で小さなストレスや心の痛みを蓄積していることを知ってほしい。

ただし、これは病気や障害で、困っている人を見て見ぬふりをしてスルーするのとは全く違うことも申し添えたい。見た目どうこうではなく誰だって困っている人には「なにかお手伝いすることありますか?」と声をかけるのは、人として当たり前のことだから。

人を容貌(見た目)で差別する「ルッキズム(外見至上主義)」が社会的に問題になっているこの時代、他人の見た目をネタに笑いを取ろうとするのはもう古いと思う。たとえアメリカのショー・ビジネス界ではアリだとされていても、全く肯定する気になれないし、そういう文化だから仕方ないとも思わない。

無自覚な言葉は、殴る以上に相手の心を深く傷つけること、人の外見を覚悟もなくどうこう言うのは恥ずかしいことなのだと、次の時代を作っていく息子たちの世代にもしっかり教えていきたい。