ウィル・スミスの「平手打ち事件」で、日本人が見落としている「重要な論点」

ハリウッドが受けた「思わぬ痛手」
池田 純一 プロフィール

事件直後のLAタイムズの記事はいくつかの世論調査を紹介していた。どの調査結果も基本的にスミスの行為に厳しい態度を示しているが、動機に関する判断についてはばらつきがある。たとえば、3分の2の回答者が「(平手打ちとはいえ)暴力はいけない」と答えていたが、その一方で、同じく3分の2の回答者が、しかし「スミスの取った行動や理由は理解できる」とも答えていた調査もあった。

そこから窺い知れることは、次のようなものだろう。人間は愚かな行動を取る、たしかにあの行為は、正しい行動ではなかったかもしれない、だが人間らしい行動ではあった、人間は間違うものなのだ、間違ったら然るべき罰を受ければよい、というようなものだ。

ここで、二点だけ急いで補足しておくと、この手の調査は絶対的なものではなく、ひとつの指標くらいに捉えておいたほうがよいこと。その時点の「社会的空気」くらいのものである。また、社会的空気という点では、事件から時間が経てば経つほど、規範的な回答に落ち着きがちなところがあることだ。

 

ハリウッドが広めてきた価値観

ともあれ、こうした調査結果で見られるのは、ある意味でとてもアメリカらしい「家族が社会よりも優先される」価値観だ。そして、この価値観は、むしろハリウッド自身が広めてきたものでもある。

女性の社会進出が奨励され始めた80年代後半以降少しずつ夫が妻をかばうシーンは減ったように感じるものの、その代わりに親が子ども、とりわけ父親が娘を庇護するシーンは増えた。その場合、娘もまた父を慕う場合が多い。夫と妻の間では難しくなった非対称な関係性も、父と娘の間でなら可能であり、それは今ではひとつの表現コードにまでなっている。

こうした「普通の人びとの空気」に従えば、スミスは、自分の行った行為に対して自分のできる範囲で責任を取った、ということになるだろう。その彼をどう裁くか、今度はアカデミーに委ねられる。

もちろん、スミスのアカデミー辞任が、世間からの支持を得るためのあざといPR戦略だと解釈することは可能だ。実際、そういう側面もあることだろう。だが、アカデミーが、遅ればせながら調査に乗り出した時点で、すでにPR戦になってしまっている。

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