新学期になり、胸躍らせながら新しい学校に進む子どもたちと同時に、進級していよいよ受験の年だと襟を正す思いの子どもたちもいる。受験をする上で重要なのは学校選びだ。まず気になるのが、「名門校」と言われる学校の何が素晴らしいのかということだ。
おおたとしまささんの最新刊は『ルポ 名門校―進学校との違いはなにか』(ちくま新書)。麻布・開成・武蔵、桜蔭・女子学院・雙葉といった男女の御三家のみならず、日比谷や県立浦和、灘、熊本の済々黌など多くの学校の「何が素晴らしいのか」をまとめた一冊だ。本書の刊行を記念して、「名門校と単なる進学校の違い」について、おおたとしまささんの考察を抜粋、再編成の上掲載する。

受験勉強だけをさせればいいと考えている学校はない
いい味噌や醬油をつくる昔ながらの蔵元には、「家付き酵母」が棲みついているという。長い年月をかけそこに棲みつき、味噌や醬油に、そこでしか再現できない独特の「風味」を加える。同じ材料、同じ製法で造っても、他の蔵元では同じ味は出せないのだそうだ。
学校にも似たところがある。生徒は毎年入れ替わるし、当然一人一人違うのだが、それでも同じ学校の生徒には共通する「らしさ」が宿る。特に個性的な「らしさ」を醸し出す学校を、人々は「名門校」と呼ぶ。
ただし、その「らしさ」とは何なのか、どうやってその「らしさ」が身につくのかといわれると、「何となく」以外に答えがない。
それでも、名門校のクオリア(≒感覚質)は存在する。その証拠に、教育の専門家でなくても「あの学校は名門校といっていいだろう」とか「いや、あの学校は名門校とは呼べない」などの一家言をもっているひとが多い。
ひとには、いい味噌や醬油とそうでないものを判別する能力が備わっているのと同様に、名門校とそうでないものを峻別する能力も備わっているようだ。
では、名門校とは何か。それを少しでも浮き彫りにするために私は全国有数の、「名門校」と呼ばれる高校および中学校を訪ね、『ルポ名門校』を著した。
訪ねる学校は、単なる進学実績ではなく、歴史の特異性に注目して選んだ。旧制中学の系譜、藩校の系譜、女学校の系譜、大学予科・師範学校の系譜、大正・昭和初期生まれの学校、戦後生まれの学校、学校改革で生まれ変わった学校の各ジャンルから個性的な歴史をもつ学校を4〜5校ずつ選んだ。
これらの学校の歴史をつなぎ合わせると、学校はどのように進化するのか、日本の学校文化がどのように形成されたのかが浮かび上がってくる。
名門校に限らず、そもそも「受験勉強だけをさせればいい」と思っている学校はほとんどない。どんな学校でも基本的には教養主義や人格教育を旨としている。しかし大学進学実績を残さないと、優秀な生徒が集まらない現実がある。
つまり、受験重視か全人教育重視かの違いは、教育理念の違いではなく、学校としての成熟度の違いだと考えたほうがいい。すでに実績が出ている学校はそこを強調しなくていいので、結果的に教養主義や人格教育を打ち出せる。